09.18
Sun
すっかりご無沙汰してしまいました
月吠ノートです。

★お知らせ★

福岡県の野田宇太郎文学資料館さんの企画展「蒲原有明―近代詩の先駆者―」にて
有明先生と朔くん白さんの描き下ろし漫画を展示していただいています。
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11月29日までの開催です。お近くの方、ぜひお越しください。
野田宇太郎文学資料館企画展「蒲原有明―近代詩の先駆者―」ページ

西日本新聞紹介記事
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikugo/article/271284

★お知らせ2★

月吠最新6巻が10月21日に発売予定です!
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どうぞよろしくお願いします!
6巻には32話までとキョシの番外編が収録されます。
ちなみにアフタヌーン本誌は9月24日発売号で33話掲載。単行本が連載に追いつきかけています。
10月発売のアフタヌーン12月号(34話掲載予定)では先頃行われた人気投票の結果発表がありますので、単行本派の方も
追いつきやすいこの機会にぜひアフタヌーン連載の方もよろしくお願いします

人気投票、今現在まだ結果は出ておりませんが、どうなっているか私も楽しみです。
投票していただいた皆様、ありがとうございました!

★お知らせ3★
ずいぶん前のことですが
『ユリイカ』2016年8月号 特集「あたらしい短歌、ここにあります」
に清家のインタビューが掲載されています。
こちらもよろしくお願いしますー


さて久々すぎてノートの書き方を忘れてしまいましたが…
せっかくなので連載とは関係ないけれど気になっていることを書き留めておきます。

『ユリイカ』のインタビューでも触れていますが、
月吠では資料として、出典を自分で確認できないものは基本的に採用しない方針があります。
文学者のエピソードにはこの、出どころがわからない話が結構あるのです。
漫画本編と無関係とわかっていても、明確な出典が見当たらないままに事実として広く
語られている出来事には、一体どこから出た話だろう?と気になって調べはじめてしまいます。

それでひとつ、出典が見つからずにいて、ご存知の方いらっしゃいましたら是非ご教示願いたいのが、
『愛国行進曲』の選定補作をめぐって佐佐木信綱と北原白秋が大げんかをし生涯口もきかなくなったという話です。
いくつか読んだ本に記載があったのですが(Wikipediaにもありますね)、
ほとんどが出典が記されておらず、数少ない出典として明記されている本も
三國一朗『戦中用語集』(岩波書店、1985)で、そこでの記述は
「愛国行進曲は白秋と信綱が激論をたたかわせてほとんど原型をとどめなかったという」のみで、「という」の出典は書いていません。

ちなみに白秋の日記的な記述、『全貌 第六輯』消息片鱗(『白秋全集 38』)では
***************************
(昭和十二年)

五月十九日
東京会館にて佐佐木信綱氏の文化勲章拝受祝賀会に出席。

十月二十八日
午後二時より星ヶ岡茶寮に於ける愛国行進曲の審査委員会に出席。
会果てて九時又東京駅より伊豆に向ふ。
同行、大橋松平・中村正爾君。
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一方信綱は『作歌八十二年』にて
+++++++++++++++++++++++++++
昭和十二年
十一月 内閣情報部の愛国行進曲歌詞審査委員を嘱され、尽瘁した。
なお、予選者として竹柏会より小花清泉、伊藤嘉夫君が参加せられた。
+++++++++++++++++++++++++++

と、両者特に何も触れていません。
ただし、信綱は他の審査委員の時は「嘱せられた。」としか書いておらず、
わざわざ「尽瘁した」と書いているということはやはり何かあったのかもしれません。

その後の白秋の「消息」をたどると、
***************************
(昭和十四年)
五月三十日
午前十時より愛国婦人会本部に於て、「銃後家庭教化の歌」審査会。
藪田同伴出席す。他に列席者は西条八十・佐佐木信綱・小野賢一郎・山田耕筰の諸氏、
並に愛国婦人会事務総長小原新三以下数氏。入選及び佳作を決定後、一等当選作の
補訂をなす。
夕刻より、芝紅葉館に於けるビクターの祝宴に臨む。

六月八日
午前十一時、九段軍人会館に於て「銃後家庭教化の歌」第二回審査会、藪田同伴出席す。
他に佐佐木・西条・山田・柴野中佐の諸氏。愛婦側水野副会長以下各理事、小原事務総長以下
各関係者列席。先に決定した一等当選歌は山田氏に作曲を依嘱、本日補訂の二等作品は
一般から広く作曲を募集することとなつた。
夕刻より、丸ノ内日本工業倶楽部に於ける日本文化協会主催「児童読物改善懇談会」に出席す。

九月六日
午前十一時、一ツ橋学士会館に於て、厚生省募集「明治神宮体育大会の歌」審査会。
藪田同伴出席す。他に佐佐木信綱氏、山田耕筰氏、明治神宮宮司有馬良橘大将、体力局長
佐々木芳遠氏ほか関係事務官列席。当選決定を次回に保留す。帰途赤坂の稀音家浄観氏邸に廻る。
日本文化連盟依嘱の長唄「元寇」初稿出来につき、作曲に関する打合はせをなす。

九月十三日
午前十一時、一ツ橋学士会館に於て、厚生省募集「明治神宮体育大会の歌」第二回審査会。
藪田同伴出席す。当選作補訂、佳作三篇決定す。
なほ右の当選作は山田耕筰氏が作曲する。

***************************

と、少なくとも二曲の審査会で顔を合わせており、
特に「明治神宮体育大会の歌」審査では歌詞担当としては白秋と信綱しかいないので
補訂に際して口をきかないということはなかったんじゃないかと思われます。
ただ『愛国行進曲』からは一年半経過しているので、何かあっても時間が解決したのかもしれませんが。

「同伴出席す」と書かれている藪田義雄氏は白秋門下の詩人で当時秘書でもあり、『評伝 北原白秋』(玉川大学出版部、1973)
では白秋の国民歌謡審査についても書かれています。「愛国行進曲」の翌年、昭和13年の「愛馬進軍歌」の審査
(審査員は土井晩翠、白秋、斎藤茂吉、西条八十、JOAK局長片岡直道)をめぐって土井晩翠の推す一等作品が
漢語調で今時流行らないんじゃないかと陸軍の担当主任(硫黄島の栗林中将の大佐時代)らと話し合うといった顛末が書かれています。
が、「愛国行進曲」についての記述はありません。

そういうわけで、何かありそうだけど決定的な記載を掴めないまま
ひとまず2巻のおまけページで白さんが「仲良くもないけど悪くもない」と言っているのでした。
ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示いただけますと幸いです!
本当に本編とは全然無関係なんですが、一回気になるとどうも気になってしまいます…
喧嘩の内実というより、歌詞をめぐってどちらがどんな主張をしたのかなあと。
当時から語彙が難解すぎると批判も多かった歌詞だけに。

なおこれで見てもわかるとおり、戦争詩歌はプロ?の詩歌人が作っただけではなく、当時盛んに一般公募が行われて、
何万件もの応募があり、著名な詩人と一般詩人の作品とを合わせたアンソロジー詩集も発行されていました。
著名な近代詩人達は自分で作るよりもむしろ応募作の選定補訂、投稿詩の監修面で関わっていたことが多いです。
愛国報国精神が広汎な創作エネルギーに繋がっていたわけです。
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