05.13
Wed
今日は18話の内容について、白さんとアッコさんの描写についてです。
1505132.png

先月のノートに書いた、18話のサブタイトルになっている与謝野晶子の「明るみへ」。
晶子が自分と夫、周辺の人々をモデルに書いた小説なんですが、未完です。
鉄幹が洋行する前後の夫婦関係を中心に描いています。

モデル小説ということで白秋をモデルにした人物「三原」も出てきます。
ちょっと引用します。
 ※京子=晶子、三原=白秋、吉村=森田草平、朋子=平塚明子らいてう
森田草平は漱石門下生で、平塚らいてうと心中未遂事件を起こし、その顛末を『煤煙』という小説に著しました。

*****************************************
(前略)
「三原さん、土井さんは色が白いので、あゝしてゐらつしやるとなんだか西洋人のやうですね。」
と京子は三原と云ふ詩人に云つた。三原は窓から中を一寸覗いた。
「さうですね。」
「三原さん、私は神戸迄行くんですよ。急にさう思ひ立つたんですわ。」
「さうですか、僕も行きたいなあ。」
と云つて、三原は其処にある籐の長椅子の端へ腰を下した。
「いらつしゃいな、ねえ三原さん。あなたがいらつしゃれば好いわ。」
と京子は首を傾けながら云つて居た。三原は歌麿の絵の「上の息子」と云ふ男の様な眼附をして笑つて居た。

(中略)
京子は吉村文学士から来た葉書を机の上に置いて、其前にもう一時間余りも頬杖を突いた侭で居るのである。
あなたもやつぱり××だ。
かう書いてあるのである。××と云ふのは名高い朋子と云ふ令嬢の別号なのである。
吉村は昨夕その女を女主人公にして書いた自作の小説を京子に持つて来てくれたのである。
自分が昨夜吉村に云つて居た言葉程しらじらしいものはないと思つて、京子は自分が意気地なしだと
思はれてならないのである。吉村と云ふ人は何時も自分を女と云ふものゝ中から自身と語るべく
選ばれて出て来た女として見て居る人なのであるから、臆病な自分はどうしてもああした傾向の
話をするやうになるのは已むを得ないとしても、真実らしく何も嘘までも云はないでもよかつたでは
ないか、吉村は自分に最初かう云つたのである。
「僕は此頃一人の叔母さんが欲しいのです。親でもなければ姉でもない、妹でもない、
恋人でもない叔母さんです。どんな事でも打明ける叔母さんが一人欲しくてならないのです。
何んでも其人に打明けるのですよ。あらゆる事を云つていゝ叔母さんなんです。
性欲の事なんかまでも話の出来る叔母さんなんです。」
自分は其言葉の初めから、叔母さんと云ふものに自分を擬して居るのではないかと妙な気がしたのであつた。
「さうですかねえ。」
無意味に幾つも点頭(うなづ)いて見せたりした。それだけでは済まない筈であると云ふやうに吉村は
自分の顔をじつと眺め入つて居た。
「私にそんなことを頼む人があつたら私は。」
とだけよりよう云はずに空虚な笑ひやうを自分はして居た。
「叔母さんを是非拵(こしら)へなければならない気がするんです。」
「私なら人からそんなことを云はれたら困りますわ。」
「厭だと云つてらつしやる方に無理に頼むことは出来ませんが、なつたつていいぢやありませんか。」
「でもね、私には無理なんですよ。」
「僕はもうちつとも性欲と云ふものがないのです。恋人を作つたりする気にはちつともならないんです。」
「私もないわ。」
「真実ですか、それは。」
「ええ。」
と云つたが、自分はもう相手から無理押付けに叔母さんにされて居るのではないかと気が揉めた。
それから云つたことが口から出まかせの事なのである。

(中略)

「朋子さんの雑誌を見ないでいらつしゃるの。」
「見ないんですよ。」
吉村は其時淋しい笑ひ様をした。
「ぢやまあ見てお上げ遊ばせ。」
自分が手に渡したので吉村は表紙を開けた。
「有は即ち無だと云ふやうなものぢやありませんか、内容のちつともないこんな事を云つて
何が面白いんだらう。」
吉村は三行の文をかう批評して居た。京子はこんな事を思ひながら葉書を丁寧に二つに折つて
裂いた。そしてまた四つに、八つに、折っては裂き裂きした。それを入れてしまはうと思つて
机の下の反古籠を出して居る処へきよがまた郵便を持つて来たのである。
クリイム色の封筒に心憎い程上手に八阪京子様と書いてよこした人は、詩人の三原であることは
裏を返して見る迄もなく京子には分って居るのである。歌麿の息子よりと裏には書いてあるのである。
京子は昨夜も吉村と三原の噂をしたことを思ひ出した。
手紙は三原の拵へて居る×××と云ふ雑誌へ京子が歌の原稿を送つた其礼を云つたものなのである。
小生の描き候蛍模様の花がめの楽焼ひとつ御卓の上にのせて頂き度参上致すつもりのところを
紫山君にさらはれくやしき事致し候。何れそのうちまたひとつ焼きつけて御伺ひ致し度存じ居り候。
浅草は下司(げす)のすまひする処に候。もはやあきあき致し候。唯今ある男、この家を歯医者と
思ひたがへ、歯のいたきゆゑなほして頂きたしと申参り候。をかしく、先生は今風邪気にてだめなり
と申させ候。
御著書給はり御礼を申上候ことも、巴里(パリー)よりの御消息にまして遠々しく日かず重なり
恐れ入り候。
伺ひ候日、嫁様の話はお聞かせ下さるまじく候。
などと書いてある。
京子は又万年筆で、
おぢよらうも、花嫁の御も、
逆しまに火桶にくべて、
その上で煙草飲みましよ、
年上のあそびともだち。
と手紙の端へ書いた。
*****************************************

一方、晶子が『明るみへ』を執筆している時期ー大正二年の白秋は
明治四十五年の姦通事件の相手、俊子さんと恋愛関係が続いていながら、
人妻である俊子さんの離婚手続きがうまくいかず、結婚に至れないという状況でした。
(その後大正三年に夫婦として三崎に移住しますが、白秋の家族と俊子さんのそりがあわず
数ヶ月で俊子さんは先に三崎を離れ、大正三年夏に離別しています。
これまで何度か触れている、朔太郎の白秋宛の手紙が多く残り、二人の関係が密になるのは同年秋のことです)

俊子さん宛の手紙が『白秋全集 39巻 書簡』に収録されています。その中に
#########################################################
(前略)

僕はあなたを思ふ存分迷はす方法を知つてゐる。またある外の女を夢中に迷はす方法も
知つてゐる。それはたゞーーーーもつと自分を夢想家にするか、一段低級に身を落すかの二つである。
そこでーーーー面倒くさいからこんな事はやめやう。まあまあ御安心なさい。今のところまだ用心に
用心して手紙をかいてゐるから。
 晶子さんとの中は心と心の戦争です。それはこの位僕の対手にして面白い人はない、
憎いほどに神経がはたらいてゐる。然しかはゆくはない、然しね、巴里にゐて僕の事をきいて
たゞ一人日本に帰つて来たのは何のためでせう。あなたが写真を焼いたので向ふで病気になつた
さうだ、すまぬ事をするではないか、然し今の僕の心はやはりあなたといふ人をあの人の前に
見せつけてやりたいのさ。僕もバカになつて了つたものだね。どうしてこんなに誰かゞかはいいのかね。
 東雲堂の西村陽吉君は青鞜の平塚明子から可愛がられて夢中になつてゐるよ。平塚といへばこん度の
僕たちの事件は明子草平の事件以来の話のたねになつてゐる、随分評番してゐる。あなたもしつかり
覚悟なさい、今に立派に名乗りをあげさしてあげる。僕は今二人のそも〵〳からの小説を書いて見やう
かと思ふ、随分評番のものが出来るぜ、それとも芝居にして見やうかとも思つてゐる。とし子といふ女を
どういふ風にかくかは僕の方寸にある、お前が干渉してはいけない。とにかく正直に見たまゝをかくから
怒つてはいけない、だきやうなんぞしないから、キツスを百も二百も持つてきたつて、だきやうは
しないから、
怖がらなくていいさ、僕はお前に惚れてゐるんだもの、バカだね。
                               南 低 吉
大きらひなリリーさん

ーーー大正二年一月 北原白秋 福島俊子宛書簡(『白秋全集 39巻』岩波書店)

#########################################################

(前略)

晶子さんに就ての邪推はおよしなさい。

(後略)

ーーー大正二年八月二十四日 北原白秋 福島俊子宛書簡(『白秋全集 39巻』岩波書店)

#########################################################

(前略)

鉄雄は晶子さんの世話にて出版業の処に落ちつくらしく候。晶子さん一人にて二三日内に
遊びに来る由、お前様がゐたらばよきにとおもひ居候。何となく不思議な気持ちにて待ちうけ
居候。それとてもつまらぬ邪推はなさるまじく候。

(後略)

ーーー大正二年八月二十八日 北原白秋 福島俊子宛書簡(『白秋全集 39巻』岩波書店)
#########################################################

という、俊子さんが晶子に嫉妬していたことが窺える文面があります。
他にも度々晶子の名前は出てきて、白秋の家族についても働き口を世話したり
詩人として人気絶頂の中の下獄で社会的に傷を負った白秋を頻りに励まし支えていることがわかります。

俊子さん宛の手紙では、鞘当てに使ってる感がなきにしもあらず…な、
白秋のこういう所を感じ取った上での晶子の「明るみへ」の記述なのかな〜と思って
さらに白秋の『桐の花』中の

+++++++++++++++++++++++++++++++
ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも
                       才高きある夫人に

ーーーー北原白秋『桐の花』
+++++++++++++++++++++++++++++++
これらから18話でああいう関係性になったのでした。
お互い相手の振舞を「心憎い程上手に」「憎いほどに神経がはたらいてゐる」と評してるのも面白いなあと。

ところで白秋先生の恋文は全体的になんだかすごいです…。別れる時の落差もすごいし、それら文面が残っているのもすごい。

白秋と鉄幹のこと、意外に色んな人が参加していた『明星』のことも書きたいですがそれはまた別の機会に。
一つだけ、朔太郎も短歌を『明星』に投稿していたことはこちらで以前書いたと思います。
筆名を萩原美棹、萩原朔などとして短歌を投稿、数度掲載されていました。
それに関連した資料を一つ。

『明星』辰歳第七号(明治三十七年七月号)より
```````````````````````````````
社告
(中略)
  ●新詩社夏季清遊会
本社は六月の小集席上の相談にて、避暑旅行を催すことと相成り候が、其後更に協議致し、
場所、時日其他一切左の如くに定め候。
一此避暑旅行を新詩社夏季清遊会と名く。
一会員は『明星寄稿家、新詩社々友、『明星』読者を以て組織す。
一旅行地は群馬県赤城山とし、山中の諸勝を歴遊せむとす。
一日限は往復五日間とし、雨に関せず八月二日午前六時東京上野停車場を発し、前橋にて下車、
 前橋より赤城山中『大洞』と称する地に向ひ、山中に四泊して、六日の午後七時上の停車場に帰着す。
一会費金五円。右は往復の汽車賃及び宿料に供する物にて其他の雑費は各人の自弁とす。
一会員たらむとする諸君は、七月二十日までに本社に通知せられたし。群馬県地方の人は
 社友前橋市北曲輪町萩原朔太郎氏に通知せられたし。
  (中略)
此行高村碎雨氏は赤城山の案内役に当られ、加藤精一氏は写真器を担うて従はれ、馬場孤蝶、与謝野鉄幹の
二人は総世話役に候。既に同遊を約せられたるは、前記の外、藤島武二、石井柏亭、山崎紫紅、大井蒼梧、
川上桜翠、平野万里、茅野暮雨、宮川静琴、高野常春、岩田郷一郎、伊上凡骨等の諸君に候。
                            (七月一日与謝野生)
```````````````````````````````
「高村碎雨」=高村光太郎です。新詩社の赤城山避暑旅行の案内です。
朔太郎氏、なにげに群馬地方の連絡先になっています。ただし当人は参加していません。
昭和4年に光太郎が赤城山登山に来た時にも、草野心平とともに前橋駅まで出迎えには行ってるものの登っていません。
登らない朔太郎。


※追記ーー白秋の手紙の中での「二人のそもそもからの小説」は未完成書きかけのものが発見され、薮田義雄『評伝 北原白秋』(玉川大学出版部、1973) に収録されています。
back-to-top