10.27
Mon

というわけで(前の記事より)作品紹介です。
今日は北原白秋『芸術の円光』より「山荘主人手記」
(『白秋全集 18』岩波書店、1985 所収)
大正十一年、犀星と朔太郎が小田原の白秋宅を訪れた際の手記です。
白秋が犀星や朔太郎の人となり、日常的な関係について書いていることは少なく、珍しいものです。
家庭の安定した三人の久々の交流の楽しさが非常に良く伝わってきます。

朔が一話で嬉しくてぴょんぴょん跳ねているのは、
『月に吠える』白秋序文での

外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその四肢(てあし)が常に鋭角に動く、
まさしく竹の感覚である。而も突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震はす時、
君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から涙がこぼれ落ちさうで、
何かに縋りつきたい風である。

からとともに、この手記の記述からもきています。
141027.png


************************************

山荘主人手記

わが友の山荘訪問記にならひて、われもまたひそやかなる主人の手記を認めむとす。
こはほほゑまるることなり。

われもまた友を待つこと久しかりき。来らず、行きて見ず、かくて長く相合はざることの幾年なりけむ。
室生と萩原が来るぞ、かく二人の消息をうち見て我が驚き喜びてより、ひねもす日は永くてさらでも暑き
油蝉のいりつくれば、堪へがたくも待ち喘ぎけり。とくよりかの湯ヶ原にをさまりゐるといふに、
何とてその往きには立ち寄らざりけむ、兎にも角にもいましめ置くべきなり、とは思ひつれ、かのゐるは
如何なる貴き高楼にやあらむ、絶えて消息のはしにだに記さざれば、さて此方より云ひやるよすがもなし。
さて三日経ちけり。

今朝こそ来らむ、迎へに、行かむか。髯や剃らむ、などまだひそやかに取沙汰せるうちに、門には早くも
人のけはひして、よき家ぞ、カンナも咲けり、こは何といふあやしきサボテンぞなど笑ひぞめく。
かの声なりと思へば思はずも走り出たり。

犀星の稜立ちて痩せたる、髪長き、鉄無地の絽の羽織ひきかけてやや取り澄ませる。朔太郎のはにかみて
慌ただしき、その白麻の下衣の襟広なる、ボヘミアンネクタイ房々と垂れて、さて横顔の痩せて笑へる。
むかしのままなり。犀星夫人は豊かに丈高く、うしろにちらとかくれし下げ髪の子の、水色に薄藍色の
洋装したるが、脛ほそくいたいたしげなる、その靴の小さく白きもよく目に立ちぬ。

階上の書斎にて、ひさびさにて皆相向へばうれしき事かぎりなし。犀星、何といふデスクのいかつさぞ、
何といふ大きなる書架ぞなど相変らずなり。さて土産なるがこの凡てをわが贈り物とな思ひそ、缶詰は
朔太郎よりのなれば一寸と知らすなり。かく云ひ置かざれば朔太郎が、さぞ困るならんと犀星云ふ。
心直ぐなる人かな。笑はむにも笑へじ。

皆々涼し涼しといふ。朔太郎の偏屈は今に初まらねど、かの旅館のあやしき、我等みな日干の沼にあぎとふ
青きさかなのごとかりき、とても辛き目見せられたりと犀星、さればこそ消息にも秘めたれ、とがめられぬ
前に予め白状し置くなり、我は朔太郎故にはいつもいつも恥掻くなり、我らが如き一流の人はこの後とても
いよいよ心すべきなれ、白秋よ、さにあらずや、とまた彼はをかしくも附け加へぬ。

旅に出でては我がごときも気をかねて、たとへば手をたたくことすら憚るなり。かく我が云へば、さなり
さなり、これは何といふ困つた事ぞと、犀星首うちゆるがし、垂れさがる長髪をうるさげに搔き上げて笑ふ。
茶料などいかほどのものにや、その心づかひがたまらぬ故大きなところには得は這入れぬなり、と朔太郎も
いとあはれなり。いな、朔太郎は毛唐まがひゆゑボラれるなりとまた犀星いつもの癖なり。凡てはブルジョ
アどもの罪ぞ、されども我等とても自働車といふものにてかくはるばると駈け来れるなれば驚く勿れと犀星
また髪を搔き上ぐ。よくも墜落せざりし、かの片浦の断崖(きりぎし)こそは危ふかる青ざめぬべき難所な
れ、心すべしと胆ひやせば、皆々胆ひやすも時遅れたり。

寝室のドアの白き把手をわがひねりて、ないしよだよとひそめきしはまことなれど、その壁の緑なる、窓枠
のピンク色せる、あはれや二人は見のがしけり。我もまたはたと閉めたるぞおぞましき。窓よりは柿の実の
青きが、孟宗が、さては函根の炭焼の煙など、その眺めたとしへもなく美しきを、遂に二人とも再びとは
得は拝めざるらむ。さぞな悲しく口惜しからむよと思へば、あはれともあはれよ。をかしともをかしよ。

離れの庵室は皆々見て喜びぬ。何といふ簡素ぞ、何といふ幽寂ぞ、この竹林の緑なる、何といふ小鳥の声
ぞやなど、何といふが口癖のその人ほとほとに見惚れ見飽かず。曾つては露風も坐りて動かざりきと、我。
さるにてもうとましきはかのかまきりちふ虫、尺にもあまるらむが、かさりかさりと匍ひ出でたる、こは
何といふ幽けさにやあらむ。犀星ならずば誰か眼を皿にして見て喜ばむ。十枚がものは書けるといふ。

さて母屋に還りて、改めて妻と我子とを人々にひきあはしつ。我が愛児は君にもあはれなるべしと、我
たゞちに妻の手より奪ひて、高くさしあげ、眼よりも高く差し上ぐるに、犀星、我が豹太郎にも我も亦かく
ありき、今は亡しと顔をそむけたり。その夫人の長き睫毛にも涙たまりてこぼれむとす。よしなき我が身の
喜びを見せて、人をも悲しませつるかと思へば口惜し。

最早や午にも時過ぎたり、遅れたれど手づくりの粗餐まゐらすべしとて食堂へ妻が案内するに、よき
フアイアプレースなりと朔太郎一目見てほめたたへぬ。こは英吉利の百姓家の風情なり、まだ何一つ飾り
とてととのはねば寂しと我が答へたるに、これにてよし、満点ぞと彼はまた童児のごとくうち喜びぬ。
よき友垣かな。

皆々席につくに、白きテエブルクロース、皿、ナイフ、フオク、一輪挿しの黄のカンナなど、あやしけれど
たゞ型のごとくに並べたるに、庭前のコスモス緑に映じて、やや眼を喜ばしむ。さて皿といふ皿に乏しく、
人手少なければ、スープその他、つぎつぎと大きなる鉢どんぶりのたぐひにて盛りて出す。人々の匙もて
食ふにまかせたるなり。犀星、こは仏蘭西料理なるべし、いしくもととのへたるかな、贅を極めたる貴族の
食料なり、こは何といふ肉ぞ。雛鳥のトマト煮ならしと朔太郎が云へば、うまきかな雛鳥、朔太郎汝の
雲雀料理は常にその詩にて風味したるも、(白秋よ、朔太郎とてもまことの雲雀料理は食ひたる事なからむ。
あれは詩なり。)おそらくこれ以上には出でざるべし、こはまた何といふものぞ、トンカツにもまされり、
夫人よ、夫人はまさしく文明食物のよき味感を解したまへり。おそらくは天才にやあらむ。まことにこは
欧羅巴人の巧みなり。いないな、さる宣教師夫人につきていささか習ひおぼえたるのみなるを、君の褒辞は
当らずと、流石は鼻じろめど、この山妻すくなからず心足りげなり。さるにてもはしたなき厨女かな。
なになればとて彼女はうどんの如く、いな、マカロニのごとくもげらげらと転げ笑ふにや。とても叱りつけ
むと思へど、早くも厨に逃げゆきしか、影も無し。

さて、いつもかかる欧羅巴人の食事を認むるや、パンのみかぢるにや、最早や一切米の飯は食うべぬと云ふ
にや。と犀星何をか驚きけむ。米を食べぬといふにはあらず、常にまたさる美食も我等の乏しさにては得叶
ふべきにあらず、簡易なればパンは時たま用ゐるなりと我が云ひ解けどもきかず。とてもすばらしきぞ、
紅茶もゼエリイも水菓子も正式に今日は附けるにやと訊く。それはなかなか、ともかく何か差し出さむ待ち
たまへと我が笑へば皆々声を合せて笑ふ。中にも朔太郎さもをかしげなり。

ほうヴィクタアの蓄音機も買うたるか、我が家のより大きなるは、これはまた何としたことぞと犀星また
髪搔き上げておどろき笑ふに、話はいつか音楽のことにうつれば、マンドリンの名手朔太郎も立ちてショパン
などかく。犀星つくづくと吐息して、もとの互に貧しかりしが、夢のやうぞと云ふ。さてまた戯れにかへりて、
我より収入(みいり)多しとは思はざりしに、白秋、さては本がよく売れるならんと、しみじみとほほゑみ
けり。まことにかく心をひらきて親しき友垣と語り合ふことの、このうれしさは何にかたとへむ。而も衣食
いささか足り、いささか心安きに初めて我が家といふ家に迎へ得てこの喜びをわかつことのいかばかり我にも
妻にもうれしからむ、口には云へず、涙ぐましき友情(なからひ)なり。

昼餐の後、しばらく日中の暑さを消さばやと、隣の室に移りて、バナナなどむく。犀星のいふ、我によき卓掛
あれば贈るべし。いといと珍らしきものなり。古きものなれども、かならず君の喜ぶところとならむ、かく〳〵
との話なり。そは犀星の文にあれば書かず。犀星長椅子にがつしりと寝ころびて、パイナツプルは汁をこそ
吸ふべけれと啜る。犀星流だなと朔太郎神経の尖りにて笑へば、つくつくほうしもあたりの木々に啼き出でて、
日射しやや斜めに、風吹き入りて、花茗荷のかをりなどややややにすずろかなり。まことによき住居かな、
よき生活かな、洋行したやうぞ。白秋、白秋になりぬ。「桐の花」の昔に還りしぞ。そはよき夫人にこそ謝す
べきなれと、朔太郎跳ねつつ竹細工人形のごとくうち喜べば、我もまた、何といふことなくゆたりゆたりと
うれしき。
程経て皆々立ちたり。

紅と黄と青との花模様の絨毯めける、珍らしく古風なる卓掛の我が手元に届きたるは、幾日の後なりしからむ。
軽井沢へ立つと云ひしかの前の日にや。約のごとく犀星は忘れざりけり。忝きは信ふかき友垣かな。朔太郎も
今は倶にやあらむ。秋風の矢車、鈴蘭、薄、刈萱などの咲き乱れたるかの浅間の麓を、朝なさな小さき驢馬の
手綱とりて、軽く揺れゆく異人の娘にも、流石に並々ならぬ詩情も感じ合へるなるべし。

そののちまた、人来りて我に告げしは、かの犀星、白秋の贅には驚きぬ、月にいかばかりか費すらむ。食事も
仏蘭西風ぞ、ゼエリイもつくぞ。さて、パンのみかぢりて米の飯などはとらぬといふぞ、何といふ貴族の生活
ぞ、驚きぬ驚きぬと眼をばそばめつとなり。さて彼はまた声をひそめて、わがかく驚きけりとは、かまへて
白秋にな告げそとも附け加へるとなり。

凡てはほほゑまるることなり、神はかくのごとき親しき親しき友垣の上にこそおはしますらめ。
                                       (十一年十月)

back-to-top