07.12
Sat
Twitterプレゼントの色紙、遅れてしまっていて申し訳ありません。
近日お送りしますので!すみません!

そして9話について/はるみくんのことです。
140712.jpg

こちらは9話扉絵の没ラフです。

このラフ及び4話でちょっと出てくる犀の家は
犀星の軽井沢の別荘(現/室生犀星記念館、夏季のみ一般公開)がモデルになっています。
ご縁で色々見せていただきありがたかったです。
犀星が暮らしていたんだな〜はもちろん、
この離れで道造が休んでいったんだな〜とかこの庭に折口父子が来たんだな〜とか感慨深いお家です。
犀星と軽井沢については犀星自身もたくさん書いていますが、ご息女室生朝子氏の『父犀星と軽井沢』(毎日新聞社、1987)もとても好きです。

藤井(折口)春洋は、アッコさんが「一般的知名度がハードル」と言う□街住人としては
ご存知の方は多くはないかもしれません。
折口信夫の弟子である彼の歌集は生前から準備されていたものの、空襲で出版社が焼けたりして
昭和27年になって発行された「鵠が音」のみですが、
昭和19年から大正15年まで時代を遡っていく構成になっていて、
歌が磨かれていく様子がよくわかります。

最後に折口による痛切な追い書き(四度にわたり書き直されている)があり、
今出ている中公文庫版では春洋が硫黄島から送ってきた手紙、「島の消息」が附されています。
10話ではこの「島の消息」内で未完成歌として記されているものを使わせていただいています。

手紙に記されているこれらの歌について、折口は
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その期間の歌は、どれもこれも完成してはゐない。完成させようと言ふ意思は十分にあつても、
併し彼の日夜の生活が、其をさせなかつた。彼の周囲には、少人数ながら、彼の命令のまゝ、
死んで行かうとしてゐる清い魂があつた。この魂を見つめることが、彼の最高のつとめであり、
意義ある詩を生んでゐることになつてゐたのであらう。
歌人である彼が、歌を作ると言ふことで、第一義の生活をすることが出来なかつた時代である。
さう、私は思つてゐる。かう言ふ風に、彼の心を思ふ時、私はかあいさうでたまらなくなる。
ーー「島の消息」『鵠が音』より
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と記しています。
戦場における抒情ー戦後抒情詩や三好達治のおかれた状況と合わせて、じっと…考え込んでしまいます。

春洋は金沢歩兵第一〇七聯隊補充隊、
硫黄島に於いては独立機関銃第二大隊第一中隊所属の小隊長でした。
第二大隊は288名中、隊を離れていた1名を除いて全員戦死しています。
越村敏男『戦争と人間の記録 硫黄島守備隊』(徳間書店、1978)は、直接春洋についての記述は無いものの、
春洋と同じ金沢の補充隊で第二大隊第三中隊に所属していたため
(越村氏は米軍上陸前に傷病兵として内地送還になっています)
春洋がどのような環境で硫黄島へ向かったか、日々を過ごしていたかが窺い知れます。

はるみくんについては結構な量の没ネームがあるのですが…
ちょっとまだ公開には早いかなという気がするので、単行本に収録された後にでも。

折口信夫/春洋と犀星は交流があり、犀星の「我が愛する詩人の伝記」には春洋のことも詳しく書かれています。

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修正妻といふもの、女といふものに近づかなかつた迢空は、
わかい男のこちこちした頬の、そのこちこちの中に何時も愛情をおぼえ、
とりわけ従順とか反抗を読みとることで、女にあるものよりも、
もつと手強いくらくらした眩暈状態のものを愛してゐたらしかつた。

藤井春洋はそのもつとも愛された人、藤井春洋は二十三の時から硫黄島で戦死するまで、
迢空の身の廻りや雑誌社、出版社、講演、金銭の出入れまで、迢空のいふままに仕事をし、
二人は兄弟のやうに仲善く、或る時はわかい二十三の妻と、
四十二歳の男とが暮らしてゐたのである。藤井春洋はいくらかあを白く色の変らない、
がつしりした体格を持つてゐた。講演、講義、町の食事、歌舞伎、調査旅行の
何処にも藤井は連れ立つた。

死没十何年か前、軽井沢の私の家に、二人で牡蠣を貰つたからといひ、
牡蠣を籠に入れ、竹竿の真中にそれをぶら下げて、よいしよ、よいしよと
かついで搬んで来たことがあつた。
(後略)

ーー「釈迢空」室生犀星『我が愛する詩人の伝記』より
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上の没ラフはこの牡蠣のくだりからきてました。

あと、
『折口信夫全集 別巻3』(中央公論社、1999)または安藤礼二編『折口信夫対話集』(講談社、2013)収録の
犀星との対談、「古典について」が、犀星が王朝ものを書くにあたって折口に色々質問を投げているんですけれど、
犀星が小説を書くうえでどんなところにこだわっていたかがわかって面白いです。
(同収録の「日本詩歌の諸問題」神西清、日夏耿之介、三好達治との座談会も面白いです)

岡野弘彦氏『折口信夫の晩年』(中公文庫、1977)には犀星と折口の交流が頻繁に出てきて、
折口/犀星/岡野氏の三人がいる同じ場面を犀星が書いているのと違った書き方をして
犀星はさすが小説家、と仰っていたりして。ぜひ読んでみていただきたいです。
それから白秋と犀星が口論になったのを折口が仲裁したなんて話も…それについてはまた後日。
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