01.26
Sun
前の記事で書いたら、早速にご感想くださった方々ありがとうございますー!
びっくりすることもあったり!

5話については自分でこういうことを言うのは甚だアレなのですが
後から意味がわかる回ではないかと思います。
色々??と思われるかもしれませんが、この漫画の厄介なところとして、
その??は元作品を読んでいないからではないので安心してください、
基本的に元作品(という言い方はどうかと思いますが…何と言えばいいでしょう、発想元にさせていただいている作品ということです)
を読まなくても話はわかる、元作品を読むと由来がわかる
というように作っていくつもりなので、その、長い目でみていただけると幸いです
小ネタについては読んでいないとわからない所もあるかもしれませんが
話自体は、何も参照しなくても、終わってみれば、わかる、はずです
いやこんなことを書いて情けなくお恥ずかしいかぎりです…

乃我有くんは、朔太郎/白秋の書簡や選評や編集雑記や
白秋の弟子希望者への仕打ちエピソードなどなどからできたキャラです。
201401262.jpg
双方、詩の投稿者などが自分達の模倣で溢れるのに辟易としていたようですが
当時の雑誌を見ると、確かに、白秋が麗らか状態だった時期は投稿欄も「麗らか」で溢れています。
採用したものでこれだけ麗らかで没にした麗らかはどれだけ麗らかだったんだろうと…

朔太郎で引用しておきますと
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『日本詩人』より 感想『萩原朔太郎全集 第十四巻』

第一に驚いたのは、先輩の模倣とは行かないでも、感化のあとの著るしすぎることだ。
殊に私の詩風を追従するものの多いのにはいつも乍ら苦笑される。
今度の投稿中でも、それが全体の約三分の一も占めてゐる。
(中略)
模倣といふことは、詩の初学者にとつて大に必要のことである。
模倣なければ独創もない。模倣しつつある間に、眞の個性が芽生えて来るのである。
模倣は決して排斥すべきものでない。しかし模倣は一つの練習にすぎない。
それより換骨して追従といふ所まで行かなければ、とにもかくにも芸術とは
言へないのである。すべて第二流以下の芸術家とは、この追従者の群を指すのである。

選評
一、失望!例の如し。
一、天才出でざるか?
一、先輩の追跡を止めよ!
一、甚だしきものあり。朔太郎の口調をマネるべからず。
一、朔太郎のマネは取らず。
一、他の選者のマネは尚採用せず。

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こんな感じです(褒める時は褒めています)
なお、二話で詩の選評を…という場面がありましたが、初期のネームだとこんなでした。
201401261.jpg

詩人は天才云々は
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「詩人たらんと志す若い人々へ」『萩原朔太郎全集 第十四巻』筑摩書房

(前略)
小説とか美術とか言ふものだと、多少或る程度まで修養と勉強で物になるが、
詩の方は全然生れつきで、後天的の修養なんていふやうなものは、殆ど全く
無意味なことに属してゐる。即ち諺にも言はれる如く、詩人は作られるに非ずして生れるのである。
だから「勉強して詩人になりたい」などといふ考は、始から途方もない妄想で、それを思ふだけでまちがつてゐる。
(中略)
詩が入り易く何人にも作れるものであると同時に、また極めて稀有の天才の外、
眞の詩人には成り得ないもの、決して何人にも作り得ないものだといふことを、よく心得ておかねばならぬ。
(小説等はこの點が反対であり、容易に修養なしには入りがたいが、その代りにはまた、
だれでも一通りには作家たり得る。つまり詩は純粋の「天稟」であり、小説等は多少教養によつて出来る「製品」である。)
(後略)
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こんな感じです。
非才なる私めは、天才が俺は天才だって言ってるのが、眩しい〜〜!ってなって好きなんです。

朔太郎に限らず、作品の選評は作家の好みがよく表れてて、当時のはまた結構バッサバサぶったぎってて読んでて面白いです。
選句そのものを自分の創作と言いきった虚子のように、何をもって良しとするかそのことがもう芸術的行為だなあと
あとアンケートとか、全集の大体後ろの方の巻の、ちょこちょこしたの、楽しいです。
あと5話に関しては…前「後日」といっていた白さんのこわさについて、近いうちに書きたいと思っています。
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