12.10
Tue
3話で二人に嫌われている白さん。

まず2話から続いているミヨシくんの白さん嫌いについてです。
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これは三好達治の著書『萩原朔太郎』での白秋のこきおろしっぷりに端を発し
「三好の白秋嫌い」は一種の通説になっていたようで論文や解説書でしばしば見られます。
そのこきおろしぶりは是非『萩原朔太郎』を読んでみてください…

以前も書いた、『三好達治全集 第五巻』筑摩書房、1964年 にのみ収録っぽい「脱俗に徹した"息子”ー萩原朔太郎先生を懐ふー」の中で
三好が朔太郎に白秋宅に連れていかれた回想等もあるんですが、そのあたりも、ほんと嫌いなんだなあ〜というのが伝わってくるいい〜文章なので是非読んでいただきたいです。
朔太郎が何かの文章で白秋を「北原君」と書いてしまって、呼び出されて「君」とは失礼じゃないかと叱られた(と三好に話した)というエピソードも書かれています…

「嫌い」の理由としては時間的にもう白秋が魅力じゃなく反発の対象になる時代だった(「詩人の境地」『現代詩読本7 三好達治』思潮社、1979年)
という作品としての他に、人物として、白秋の口づから朔太郎に対する理解と同情と同感とを欠いているのが認められた…と『萩原朔太郎』にて遠回しに書いているんですが
具体的には三好が「白秋から『月に吠える』の序文はいいかげんに書いたという意味の言葉を聞いた」と語っていたそうで(伊藤信吉『萩原朔太郎 1 浪漫的に』北洋社、1976年)
伊藤氏は酒席での放言だろう、としているんですが、どういう状況だったにせよその一言が「萩原思い」by犀星 の三好にとってはかなり決定的だったんじゃないかと思われます。

あとは帝大卒業後、白秋の弟、鉄雄氏経営の出版社アルスに就職していたのが経営不振で退職となってしまって、それが原因で朔太郎の妹アイさんとの結婚がかなわなかったのは…関係ないかなあと穿った見方をしてしまいます。
が、この件についてはまた後日。
アルスに関しては、その後翻訳の仕事を請け負うんですが、原稿料がなかなか支払われなくて、白秋に催促の手紙を送ったら直ちに振り込まれるとともに「今後こういったことをこちらに言ってこないでくれ」と返事が来た
という話を「貧生涯」(『三好達治全集 第九巻』)で書いています。 

著作から想像を膨らませるって、こういうのもあるわけで甚だその…アレな漫画だなあと改めて思います…

モッさんの白さん嫌いについて。
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白秋と茂吉はもともとはかなり親しい時期もあり白秋も「アララギ」に寄稿したりしていたのですが、
茂吉の洋行中に編集主任島木赤彦と白秋との間に激しい論争が起こり、以後アララギとは対立関係にありました。
アララギびとである茂吉とも疎遠になり、二人が7日のノートで記した「北原白秋君を弔ふ」にあるような親しい会合を持てるのは
白秋の亡くなる二年前、昭和十五年になってからでした。
その間白秋が『日光』『多磨』でアララギ批判、子規批判を書くのに対する茂吉の反発が『斎藤茂吉全集』岩波書店 六巻七巻十二巻十四巻にいくつかあります。
一部引用すると、
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白秋君は、門人から、『白秋先生の偉大な全人格』とか、『大白秋精神』とか、『大詩聖白秋』とか、
『芸術の父、詩歌壇の救世軍主』などと云はれて、それでも少しく気が引けると見え、
『感激が節度以上に弾んだと思ふ箇所は、その直情は真実であるにもせよ、よそ目も如何と思はれるので
削除するように下命した。身うちが親爺のことをあまり馬鹿褒めするものぢやないよ』などと云つてゐるが、
さうはいふものの内心大に悦に入つてゐることが、削除した残りでこれ等の形容詞がついてゐるのだから、
先ず推測することが出来るといふものである。
(「童馬雑記帳」『斎藤茂吉全集 第六巻』岩波書店)
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こんな感じのねちねちと面白い文章なんです。いかにも茂吉という感じの。
ただ、いずれも白秋生前は発表しなかったので(「コレハ発表見合ハスベシ、白秋ハ弱虫ナレバナリ」の注釈付きで)
白秋が自分が茂吉に嫌われてることを知っていたかどうかは…??
白秋の甥である山本太郎氏の、茂吉が白秋通夜の席で遺体の前に座り込んだきりううむ、とかうーん、とかぶつぶつ唸って長い間その場を離れなかったという回想(山本太郎『言霊ー明治・大正の歌人たち』文化出版局、1973年)、
罵倒文を書きためていたのに本人に伝えられないまま先に死なれてしまったあたり、この二人の関係は面白いなあと思います。これぞライバルという感じがします。
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