04.18
Mon

九州熊本地方の地震により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い被災地の復旧、復興をお祈り申し上げます。








以下、通常の記事となっております。あわせての更新となってしまいますことをお許しください。

すっかりノートの方ご無沙汰してしまいました。
なんと今年二回目の更新です。
Twitterの絵もそろそろまとめないといけませんね…

お知らせです。

■月に吠えらんねえ最新5巻は5月23日発売予定です!
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■『中原中也記念館館報』21号にチューヤくんの漫画「夕焼めぐり」を寄稿させていただきました。
(「館報」→一番下の第21号でweb版を見られます)。館報自体は中原中也記念館にて配布中です!

http://www.chuyakan.jp/

送料負担でお取り寄せも可能なようです。(おひとり一冊限り)

■すっかりお待たせしてしまったLINEスタンプは近日リリース予定です。

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そして、『中原中也記念館館報』寄稿漫画についてちょっとこぼれ話です。

まず今回のテーマになっている「夏の夜の博覧会はかなしからずや」、作中では全文引用はしていないので、こちらで。
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夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲(しやが)んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや

広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや



その日博覧会に入りしばかりの刻(とき)は
なほ明るく、昼の明(あかり)ありぬ、

われら三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ

飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

夕空は、紺青(こんじゃう)の色なりき
燈光は、貝釦(かひボタン)の色なりき

その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!

ーーーーーーーーーー「夏の夜の博覧会はかなしからずや」『中原中也全集 第2巻』
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中也の長男文也は昭和九年十月に生まれ、昭和十一年十一月に亡くなってしまいます。
文也の死は中也にとって大きな精神的打撃となり、いくつかの詩を残しています。
『在りし日の歌』は「亡き児文也の霊に捧ぐ」と銘打たれています。
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また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

ーーーーーーーーーーーー「また来ん春……」中原中也『在りし日の歌』
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コメントで触れている「文也の一生」は中也の日記の中で書かれているものです。
最初と最後の部分のみ抜粋します。
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昭和九年(一九三四)八月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。九月末小生一人上京。
文也九月中に生れる予定なりしかば、待つてゐたりしも生れぬので小生一人上京。
十月十八日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえといふ日なりき。その午後一時山口市後河原田村病院
(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつゞく。

   (中略)

春暖き日坊やと二人で小沢を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。
同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニヤーニヤー」と呼ぶ。
大きい象はなんとも分らぬらしく子供の象をみて「ニヤーニヤー」といふ。
豹をみても鶴をみても「ニヤーニヤー」なり。やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。
六月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。
七月敦夫君他へ下宿す。八月頃靴を買ひに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子三人にて夜店をみしこともありき。
八月初め神楽坂に三人にてゆく。七月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。
飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

ーーーーーーーーーーーー「文也の一生」『中原中也全集 第2巻』
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何年何月こういうことがあった、と綴られてきた文也の一生はこの「上野の夜店をみる。」で途切れています。

さて、こぼれ話というのは「夏の夜の博覧会は悲しからずや」の中の「飛行機」についてです。
中也が文也と飛行機に乗ったのは昭和十一年七月末日、上野公園の国体宣揚博覧会のようです。
この国体宣揚博覧会について、時間の都合であまり詳しく調べられなかったのですが、
他の同時期の博覧会で「飛行塔」が出品されており、
作画にあたって、奈良の生駒山上遊園地に現存している土井万蔵設計の「飛行塔」が昭和四年設置なので
中也親子が乗った「廻旋する飛行機」と大体同じなんじゃないかなあと、そちらを参考にしました。
この土井設計飛行塔は愛宕山など各地で設置されていて、絵葉書に残っていますが、少し形状に違いがあり
唯一現存の生駒山上遊園地のものが中也の乗ったものと全く同型ではないとは思います。
ただ「例の廻旋する飛行機」と、例の、で通じるぐらいですから、既に各所でおなじみの飛行塔なことはほぼ間違いないのではと。

なお、廻旋する飛行機をうたう乗り物は他に縦にクルクル回る「空中遊覧」が昭和十一年の六月ごろ?多摩川園に登場したようです。
スケスケの小さい観覧車みたいなものです。
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で、間違いないだろうと思いながらもバシっと確定じゃないままに絵にするのはどうも落ち着きません。ファンタジーなのに。
当時の雑誌をかたっぱしから見たらどこかに国体宣揚博覧会の写真があるんじゃないかとも思うんですが
当時は各地で博覧会をたくさんやっていたのと、
昭和11年は4年後の紀元二千六百年合わせで万国博覧会をやろう!という計画が持ち上がった時期で、
博覧会というとその記事ばかりが出てきてちょっと調べただけでは行き当たらず…
いつか落ち着いたら個人的に調べます。といいますか先行研究がありましたら教えていただきたいです!
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