02.25
Wed
月に吠えらんねえ17話掲載、アフタヌーン4月号本日発売です。
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今月は6話で壊れてしまっていたチエコさんのお話です。
『智恵子抄』は近代詩の中では出色のメジャーな詩集で(昭和16年の出版当時からベストセラーでした)
映画や劇や小説など様々な分野で題材にされているのも詩集としては珍しいことだと思います。
詩集だけれど一つの物語になっている、具体性があるというのが広く受け入れられた所以なのかもしれませんね。
ぜひ読んでみてください。
>>>青空文庫「智恵子抄」

光太郎智恵子関係の書籍もたくさん出ていますが
中でも、月吠的には、草野心平の『わが光太郎』(今出ているものだと講談社文芸文庫、1990)
をおすすめ致します。

あと今回出てきている梶井基次郎作品、カジくんについてはまた後日。

余談ですが、今回の作画中、とても悲しいことがありまして、
また同時に体調がガタガタで心身ガッタガタで作業していたのですが
今回に関しては、元気な時よりもガッタガタの時に描いた方が良かったかな…という気がします。
時間がなくて絵が荒れる(これはどんな時でもダメ、反省…)のとは別種の不安定さが今回に関しては相応しいような…。
今はもう元気です、こういうことは今回限りにしたいです。

さらにさらに余談。今回のお話とは関係ないんですけれども
私はベタですがフェリーニの映画『道』が好きで、
ジェルソミーナが最も理想のキャラクターというぐらい大好きでした。
この間久しぶりに観て、意識していたわけではないけれど
時々朔くんの描写に自分にとってのジェルソミーナ感が出てるなあと思いました。
10話で走っていくところとか、全体のシルエットとか…。

月吠はまじめな時間の連載中に突然ぽこんと湧いてきた話で、
無意識に任せている領域が多く、自分の中の、昔好きだったものとか子供の頃に影響を受けたもの、
普段意識しないけど抱えている宝箱の中身がぽつぽつ転がり出てることがあるなあと感じます。
朔くんのジェルソミーナ感もその一つだなあ〜と。
萩原朔太郎や近代詩自体もその、宝箱にしまわれていたものだったんですけどね。
『道』未見の方がいらしたらぜひ観てみてください。
02.11
Wed
遅くなってしまいました。
月に吠えらんねえ16話掲載、アフタヌーン3月号発売中です。
なお、今月号以降は4月下旬発売予定の3巻には入りません。
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内容については、今までのお話と今後の展開にがっつりと絡む回だけに
何を言っていいのかわからないんですけれども、
まず、タイトルの「裸體の森」これは大手拓次の詩からきています。

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鏡の眼をもつた糜爛(びらん)の蛇が、
羚羊(かもしか)の腹を喰ひやぶる蛇が、
凝力の強い稟性(ひんせい)の痴愚を煽つて
炎熱の砂漠の上にたたきつぶす。
冷笑の使をおびた駝鳥が奇怪なづうたいをのさばらす。
死ね……
淫縦の智者よ、
芳香ある裸體の森へゆかう。
なめらかな氈(かも)の上に 化粧の蛇は媚をあふれこぼす。

ーーー「裸體の森」大手拓次『藍色の蟇』

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以前、旧字体はどうしてもという時だけ使うと書きましたが
この「裸體」はそのどうしてもという時で、
「裸体」では感じが出ない気がしませんか。どうでしょう。

大手拓次の一般的知名度は…近代詩を好きな人以外にはあまり知られてないかもしれません。

朔太郎による『藍色の蟇』跋文、
「大手拓次君の詩と人物」がわかりやすいので、一部を紹介します。
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 昭和九年の春であつた。遅桜の散つた上野の停車場へ、白骨となつた一詩人を送つて行つ
た。その詩人の遺骨は、汽車に乗せて故郷の上州へ送られるのであつた。
 停車場のホームには、大勢の見送人が集つて居た。それらの会葬者は、いづれもモーニン
グやフロックコートを着、腕に喪章の黒布を巻いてた。彼等の全部は会社員であつた。遺骨
が汽車に乗せられ、窓から恭々しく出された時、ホームの人々は帽子を脱いだ。一人の中年
の紳士が、簡単に告別の演説をした。その演説の内容は、我々の会社に於て、多年忠実に勤
めてくれた模範店員の一人を、今日遺骨として此所に送ることは、如何にも哀悼の情に耐え
ないといふのであつた。汽笛が鳴つた。そして信越線行の長い列車が、徐々に少し宛プラッ
トホームを離れて行つた。
 一人の平凡な会社員が、かうして平凡な一生を終つたのである。彼が内証で詩を書いて居
たこと、しかも秀れた詩人であつたことなど、会葬者のだれも知つては居ないのだつた。た
だその群集の中に混つて、四人の人だけが彼を知つてた。北原白秋氏と、室生犀星君と、大
木惇夫君と、それから私であつた。そしてこの四人だけが、彼の生前に知つた一切の文壇的
交友だつた。
 「寂しいね。」
 見送りをすました後で、私は室生君と顏を見合せて言つた。

 上野駅に遺骨を送つて、帰つて来た日の翌日だつた。詩を作る若い人が訪ねて来たので、
昨日の新しい記憶を話した。
 「大手拓次? 大手拓次?」
 暫らく考へた後で、その若い詩人が言つた。
 「あ、知つてます。知つてます。前に白秋氏の雑誌で詩を書いて居ましたね。貴方の模倣
みたいな詩を。」
 「反対ですよ。僕が模倣をしたのだよ。」
 と言つたら
 「アハヽヽヽ」
 と靑年が笑ひ出した。私が諧謔を弄して、何かの逆説を言ふのだと思つたのである。だが
諧謔でも逆説でもない。私は実際、大手君の詩から多くを学んだ。特に「靑猫」のスタイル
は、彼から啓示されたところが多い。尤も後には、大手君の方でも私から取つたものがある
らしく、両方混線になつてしまつたけれども、私の方で学んだ部分が、たしかに多いことは
事実である。その意味で大手君は、私よりも一日の先輩である。
 と、これだけ話をしても、まだその青年は腑に落ちないやうな顏をして、
 「でも貴方などより、ずつと新しく詩壇に出た、若いグループぢやありませんか。」
 と言つた。
 大手拓次! この名は実際新しく、詩壇の人に耳慣れない。今の詩壇の人々は、だれもお
そらくこの名の詩人を、あまり記憶して居ないであらう。稀れに記憶してゐる人々も、その
青年と同じやうに、若い時代の新進詩人ーーしかもあまりぱッとしない新進詩人ーーとして
忘れかかつた記憶の一部に、ぼんやり名を止めて居るに過ぎないだらう。然るに実際の大手
君は、私よりも少し早く、室生犀星君等と前後して詩壇に出、大に活躍した詩人なのである。
 その頃の大手君は、吉川惣一郎のぺンネームで詩を書いて居た。と言つたら、昔の「ザム
ボア」などを読んでた人には、初めて記憶が確実になり、一切の經過が解るであらう。大手
拓次の本名に帰つたのは、後に北原白秋氏が、アルスから詩の雜誌を出すやうになつてから
極めて最近のことに属してゐる。大手君の花々しい詩人的活躍時代は、その短かい本名時代
に無くして、実に過去の吉川惣一郎時代にあつたのである。
 私が初めて大手拓次、即ち吉川惣一郎の名を知つたのは、北原白秋氏の雜誌「ザムボア」の
誌上であつた。当時その同じ誌上に、室生犀星も詩を発表し、少し遅れて私もまたこれに
加はつた。この室生、吉川、萩原の三人組は、その後も常に発表の機関を一にし、後に「地
上巡礼」から「ARS」。「ARS」から「近代風景」へと、常に白秋氏の雜誌を追つて転々
しつつ、詩人としての共同経歴を一にして居た。単にまたそればかりでなく、三人共に白秋
氏を私淑し、且つ白秋氏の推選によつて詩壇に出た。そのため世間では、私等のトリオを称
して「白秋旗下の三羽鴉」と呼んだ。
 芸術的経歴に於て、かくも親しく兄弟のやうな間でありながら、人間としての大手君には
殆んど友誼を結ぶ機縁がなかつた。私が大手君に逢つたのは、前後を通じて僅か三度しか無
かつた。最初は室生君と共に牛込の下宿を訪ねた。二度目は白秋氏の家のパーチイで一所に
なつた。そして三度目は、既に遺骨となつて居た大手君を上野に送つた。それほど実に寂し
く、飽気ない友誼であつた。だがそれにもかかはらず、大手君が常に私のことを心に思ひ、
白秋氏と共に深い愛情をよせてをられたことを、この事の巻尾にある同君の覚え書によつて
初めて知り、今更また故人への追憶を新たに深くするのみである。

(後略)
ーーー「大手拓次君の詩と人物」萩原朔太郎『藍色の蟇』跋文
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そういうわけで、「白秋旗下の三羽鴉」の一員だったのが大手拓次です。
「拓くん」として1話でも名前が出ていますね。
16話で「彼」について話している部分は、この『藍色の蟇』の序文(白秋)
跋文(朔太郎)に関係することです。ご興味ある方は読んでみてください。
世に知られていない大手拓次の処女詩集(遺作)の序文と跋文で、拓次の人物像を
実際の拓次の人生とは乖離した、幻想の詩人として固定してしまったことには
原子朗氏『定本 大手拓次研究』(牧神社、1978)で批判されています。

また、拓次の詩集刊行が遅れてしまった経緯については
北原東代氏『白秋と大手拓次: 共鳴する魂』(春秋社、2013)にて
拓次の新発見の書簡が複数紹介され、考察されていますので是非。

ちなみに、上の方で参列者が「モーニングやフロックコート」と書いてあることから
白さんは喪服をモーニングにしました、フロックコートと混在してる時期なんですね。
朔くんの方は袴をはいてないとおかしいんですが、袴も一人ではけなかったんでしょう…
(小鉤を自分で留められないのは実際の朔太郎氏からきています)

余談ですけれども、白さんが「学生時代周囲で流行っていた」と言っていますが
学生時代にそういうあれそれがあったことは鴎外にはじまり川端康成も芥川龍之介も里見弴も書いているところです。
今東光『十二階崩壊』(中央公論社、1978)にて谷崎潤一郎と今が男色について語る場面があり、
谷崎談として早大生には多いとか薩摩の風俗だとか言われています。
九州=そっちの趣味が多いという認識は(九州出身の)白秋にもあったようで、
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「万歳さよなら。」
「万歳さよなら。」
「諸君。また明日だ、さよなら、さよなら。」
 後はしんとした。
 キリキリキリと帆綱の鐶(かん)が鳴る。大海の暗黒の、風の、浪の響が、そうそうとして、急に凄く高まった。
「先生、わし、先生の裾の方へ泊めてもらいますばい。よかろ。」
 Yだけは跡に一人残った。そうして談話室までまたはいり込んで来た。
「泊る。泊れ。だが、どうかな、君は九州っぽうだからな。」
「莫迦いいなさい。」
「俺はまだ美少年だし。」
「ふっ。なんちゅうこつじゃい。」
「いうにいわれぬ、その。」
「へっ。莫迦いいなさい。わしあ、そげん卑俗(げさ)きこつ知らん。」
 そんなら泊れと、私はソファの一つに寝て毛布を引っかぶる。
Yは鍵の手なりに、私の足へその毛むくじゃらの両足を向けると、すぐに、そのまま、ぐうぐうと深い鼾をかき出した。
 私もまたそれなりぐっすりと眠入ったらしい。

ーーー北原白秋『フレップ・トリップ』
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という記述があったりします。
そんなところから「学生時代周囲で流行っていた」という発言になっています。


それから、月吠とは関係ありませんが、
『なかよし』3月号創刊60周年記念付録のポスターに
「初めて描いた漫画のキャラクター」という企画の絵を描かせていただいております。

Twitterで担当さんが仰ってるように、
高校生のときにうまれて初めて描いた漫画のキャラで、
大学時代にその話を作り直して四季賞に初投稿した際にも同じキャラを出していました。内容はギャグ…?漫画でした…。
次に出したのが賞をいただいた「孤陋」(『まじめな時間』2巻収録)でした。
月吠の担当さんとはその、初投稿時からの長いおつきあいで、没になったり発表されていないものも含めて、大体私の描く漫画の傾向を把握してくれてるから
この、色んな意味で説明困難な月吠も毎月お送りできてるのかもなあと思ったりします。

さて、それで、このポスターに描いた女の子が朔くんと髪型が似てるのです。
脳内構想中漫画では似たような髪型をしたキャラがまだ数人いまして、
私の一番描きやすい/好きな髪型なのかもしれません。
実際この髪型が実現可能なのかはわかりませんが…。
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