06.18
Thu
今日はプチ更新で、
朔太郎氏の未発表ノート(公表を意図しない下書き、メモ)から、お気に入りをご紹介します。

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おひきずり

 ある天気のよい春の朝、一人の見知らぬ男が私を訪ねてきた。
長いじめじめした上衣の裾を床の上にひきずつて、たいそう青ざめた顔をして。
「何といふおひきずりだらう」と私が心に思つた。彼はだまつて、なんのあいさつも
しないで、私の坐つてゐる背後から風のやうに部屋を通りすぎた。
 私はあつけにとられた。みると、じめじめした水が床の上にのこつてゐた。多分、
あの男の裾がひきずつたあとなので、私は恐ろしくなつた。悪熱がからだを這ひまはつた。
私はいきなり戸をあけて、おもてへとび出さうとして立上がつた。しかし、立てなかつた。
腰が椅子にねばりついた。
 しばらくして夢からさめた。私は卓にもたれて居眠りをしてゐたのである。
 夕方になつて、私はあの男がほんたうに、夢でなく私を訪問することを恐れはじめた。
ところが、実際にやつてきた。だれかが戸の外で私をよんでゐる。私は恐ろしさにふるへ
ながら、も少しで窓からとび出す所だつた。しかし私はうごけなかつた。足が床にこびり
ついた。
 しばらくして夢からさめた。私はまだ卓にもたれてゐた。眼をあけてみると、たそがれ
のうら悲しい光線がカニのやうに室内を這ひまはつてゐた。
 おひきずりはたうとう私から別れてしまつた。夢から夢の中に、ふたたびくることのない
遠い遠い「時」のあなたへ。

ーーー「ノート 五」『萩原朔太郎全集 第十二巻』
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この十二巻の未発表ノート篇は、活字化困難なものは写真で収録されています。
すごくこう、秘密をのぞいてしまっているような申し訳なさも感じつつ、この巻好きなんです…。

全然大したことがないんですが、苦手な方もいらっしゃるかと思い、
Twitterではモザイクかかっています。大きいサイズはクリックで。
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06.12
Fri
今日は作品紹介として、芥川龍之介、室生犀星が同じ出来事を別個に書いている例を紹介します。
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19話で朔?の「妹」が出てきましたが…
朔太郎、妹たち、犀星、龍之介、堀辰雄が軽井沢で落ち合った際の出来事です。

●●室生犀星の場合●●

「詩人・堀辰雄」室生犀星『室生犀星全集 第九巻』より
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(前略)

旅館住ひといふものは、女の友人がゐないと心もとないものである。
芥川と僕とは、孰方にも女の友だちのない軽井沢のつるやで、いはば、一人くらゐ女の人が
たづねて来てくれればよいといふ、いくらかの空虚な感じで旅館の庭とか、応接間とかを出たり
這入つたりしてゐた。そこに堀辰雄が加はりいくらか賑かになつたが、堀はつるやに泊つてゐたのか、
町で部屋借りをしてゐたのか、僕にははつきり覚えがない、多分、町に部屋借りをしてゐたのであらう、
いや、それともつるやに泊つてゐたやうにもおぼえるが、そんなことはどうでもいい、……
 そこに萩原朔太郎君から突然電報が来て、明日そちらに行くといふのである。僕はそれを芥川と堀に
話をして、萩原は前橋にゐるのだから、前橋と軽井沢とでは二時間しかかからない、明日は早くに着く
だらうと三人は何となく萩原を待つやうになつた。萩原は芥川と初対面のやうな気がしてゐる、それで
なくとも何度も会つてゐるわけではない、その翌日、萩原はおもひがけなく、一等大きい方の妹さんの
ゆき子を伴つてゐたが、勿論萩原一人だと思つてゐた僕もちよつと驚いた、さきに何度か会つてゐるので、
萩原が出掛けやうとするとわたしも行くといふふうに連れ立つたものらしい、萩原は妹が四人もあつて
四人とも並外れて綺麗だつたから、鳥渡女のことで悲観するとすぐ妹をつれ出して歩くといふふうであつた。
ゆき子さんはもうお医者の夫人になつてゐられ、こどもさんもあつた程だ、だから物腰もきちんとし、
整つた美貌とやせぎすななりとは、柔らかいきれあぢのあざやかさをもつてゐた。芥川は上機嫌になつて
これからどこかに、くるまを飛ばさうといつた。そんなことではどこかに平常の遠慮をもつてゐる芥川に
くらべ、その日は少しも気を兼ねないで自分でくるまを言ひつけたりした。僕は何だか萩原もその妹まで
すつかり奪られたやうな気がし出し、やきもちも手伝つておれはいやだといつてことわつた。何故出かけ
られないのだといつたから、仕事にことよせてやはり頑固にことわつた。
芥川は邪魔者の僕がゐないので彼は頑固だから打つちやつて置きませうと、萩原の妹にさういつて取りなさう
としたゆき子を止めた。その日の芥川はたとへどういふ場合でも、女のひとが一人交つてゐたら大上段に
構へて、対手をえらばずに、妙な本能で進めるだけ進める人に見えた。
 かれらが戻つて来た時は、僕のきげんもだいぶなほり、さすがの芥川も気をかねて、べちやくちやと
お弁茶羅(べんちやら)をいつていた。堀辰雄はとても途中の景色はよかつたといつたが、一等若いかれは
あがつてそはついてゐた。
 午後おそくになつても、妙なぐあひになつた芥川と僕と、それをかぎつけてゐる堀とは、妙なぐあひを解く
ことができず、萩原と芥川は文学論みたいなものをはじめた。ゆき子さんは買物などをととのへに町に出掛け
たあと、芥川は何度も君、妹さんは美人だねとくりかへしていつた。萩原は妹の綺倆を自慢にしてゐるはう
だから、人の好いムシ歯を見せてくつくつと笑つた。全く萩原朔太郎といふひとはくつくつと世にも可笑しげに、
笑ふことでは子供のやうにきれいに笑ふ天才だつた。
 晩食後に、はな札を引かうと、みんながつるやの奥座敷の芥川の部屋に集まつた。僕は平常とは一本ぶん
余計に晩酌をやつて、加はつた。れいの妙なぐあひは花を引いてゐるあひだにも、続いた。
それは僕のやきもちもあつたが、芥川の邪魔者は殺せの感じもつうんと、僕をしげきしてゐた。温和しい
堀辰雄は真中にゐて、どちらにも快活になれないふうだつた。
 僕は配札の番になり、ばらばらと撒いて行くと、場と手との配り方をまちがへ、それを撒きなほすと手元が
辷つて、花札はわざとしたやうにこぼれてしまひ、こんどは念をいれて切つて見て、また、花札はくづれた。
僕は四人の眼があつまつてゐるなかで、おちついて撒かうとするほど場札を一枚よけいに出したりして、頭が
くらくらして来たが皆はひと言も、しくじりについて小言をいはなかつた。だまつてゐるのが意地悪にさへ
思へて来たのだ、平常つけつけと物言ひをする萩原までが、だまりこくつてゐた。あ失敬、こんどこそ旨く
撒かなきやと僕はあやまるやうにいつて、ぱらぱらと撒いてさらに配ると、八枚あるよと萩原はいひ、畳の
上にその札を置いた。また、撒き直しをすると、どうにもまともに配れない札は手元でくづれてしまつた。
堀辰雄がいつた。また間違へた。その言葉がきこえると、ええ、こんなもの、と僕は掴んでゐた花札を、
どうにも処置出来ないでそこに叩きつけた、いまから思ふとまだ三十代ではあつたが、よくもあんなことが
出来たと恥かしいくらゐであつたが、僕はそのまま立ち上ると、茫然と四人の正坐してゐる姿を上の方から
見下ろして、自分の部屋に戻つてしまつた。水をがぶつと飲み、そして寝床で呑む酒をちびちびやつて、
やつと落着いて来た。何てばかをやつたのだ、僕は呑むほど呑んでねどこにはいつたが、だいぶ経つてから
そつと誰かが忍び足でやつてくるらしい、萩原ぢやない、堀か、一等若いし僕が見てきますよと言つて、
堀が引きうけて様子を見に来たらしい、そしてすぐ隣室とこちらの部屋のさかひめあたりから、足音は間もなく
消えてしまつた。向うに行つたやうでもなく佇(た)つてゐるやうすもないのだ。少時して僕は障子をあけて
廊下を見たが、誰もゐよう筈がなかつた、僕はねむれぬまま酒をのみはじめた、夜中に呑むくせのある僕は、
酒は押入れに何時でも女中を呼ばなくとも、好きなとき呑めるやうにしてあつた。そしてやつとねむれる前に
気をつけたが、皆のゐる奥座敷は声も笑ひもなくしづかであつた。
 昨夜はどうも失敬と頭をかいて見せたが、芥川はべつに何にもいはなかつた。その日の午後、萩原は四万温泉に
まはつて見ようといつて、立つて行つた。そして元どほりの旅館ずまひが僕らを、おちついた退屈のなかに旨く
はめこんでくれた。べつにかれこれ僕らはその日のことを言はないでゐたが、僕がどうしてゐるかを見とどけに
来たのは、やはり堀であるらしく、それをたうとう問ふひまも、かれの生がいに見出しもしなかつたのである。

(後略)
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「詩人・萩原朔太郎」室生犀星『室生犀星全集 第九巻』より
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(前略)
萩原は妹おもひの男である。四人の妹の上三人は結婚してゐたが、幸(ゆき)子といふ一等上の妹を
彼はなかんづく愛してゐて、旅行にはよく連れて出掛けてゐた、萩原家は伊香保に近い前橋にあつたから、
夏になると伊香保に行かなければ水上温泉とか越後の鯨波海岸とかに旅行する習慣がついてゐたらしく、
それもほんの四五日の間であるが毎年出掛けてゐた、そのたびに幸子を誘うて同伴であつたが、ほかの妹達と
あまり出掛けてゐない、一番末の愛子なぞと旅行したといふことは聞いたことはないが、幸子は萩原が大森に
越してからも、しばらく滞在してゐることも私は聞いてゐたし、一番下の愛子はずつと大森の家に同居してゐた。
たくさんの妹達はそれぞれに眼に立つ美貌をもつてゐたが、なかんづく幸子はなみはづれた整うた美人であつた。
萩原がこの幸子を引つ張り出して軽井沢にも再度行つたことがあり、芥川も旅館にゐ合せて私と芥川の間に気拙い
こともあつたが、芥川は端麗な人をすぐ好きになるくせがあつた。このことは小説堀辰雄の中に書いたから省くが、
ともかくも萩原は美貌の妹を美貌だといふことを判然と知つてゐて、自慢してゐたやうなものである。
 田端にゐたころ知り合つた芥川龍之介は、或日大森の新井宿街道を人力車に乗つて馬込村の萩原の家を目ざして
馳つてゐた。そして東馬込にはいる坂下の向うから来る人力車とすれちがひになり、女の人はその貴公子然たる
龍之介先生をはつとしたやうな眼色で見返り、龍之介のことならこれもきつと振り返つて見たにちがひない幸子
夫人を、すぐさま萩原の妹だと直覚して、萩原の家につくとこのことを話し、そして幸子夫人であることを
知つたのである。芥川はあとで真白な空気の中で見た幸子夫人をむやみに褒め、こんな時に芥川は濁つた喉声に
なるくせがあり、あれは稀な美人だと繰り返していつてゐた。
(後略)
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●●芥川龍之介の場合●●

「軽井沢の一日(仮)」(『芥川龍之介全集 第二十三巻』岩波書店、1998)

※A=芥川 H=堀辰雄 M=室生犀星 S=萩原朔太郎 I子=アイ Y子=ユキ

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千が滝に別荘を貸りてゐるYが来てゐた。二人で二階に話してゐた。そこへ「Aさん」と言ふHの声がした。
肘かけ窓の障子をあけて見ると、Hは庭を隔てた廊下にゐ、姿は松や【二字欠】のかげになつて見えないが、
「Sさんが来ました」と言つてゐる。
「あとで行く、今Y君が来てゐるから。」
しかしYにSの来たことを話し、すぐに自分だけMの部屋へ行つた。廊下に桃色や黒のパラソルがねかしてあるので
Sの細君も来たのかと思つた。が、部屋へはひつて見ると、一人はI子と言ふSの妹、もう一人は丸髪に結つた、
知らない人だつた。Sは白い背広を着、あぐらをかいたまま、「やあ」と言つた。I子やもう一人の女の人は
「どうぞあちらへ」と言つた。「あちら」と言ふのは座敷の奥、即ち床の間の前なのだ。好い加減な所に坐ると、
Mは(机の前に坐つてゐたが)「I子さんは知つてゐるね。これもS君の妹さんだ」と丸髷の人を紹介した。
丸髷の人は愛想よくお辞宜をした。
暫く(五六分)話してから、部屋へかへり、Yと一しよに午飯を食つた。Oの悪口など話題になつた。
それから、又YとMの部屋へ行き、YをSに紹介した。(Sの妹たちは彼等の部屋へ行つてゐた。Sは短いMの単衣を
きてゐた。)二時頃皆で散歩に出た。宿の前には昨夜来た羽左エ門や梅幸の立つ所だつた。梅幸(洋服を着た)は
Yに「やあYさん」と言つた。「あなたもこちらですか?」「いいや僕はA君をたづねてやつて来たんだ」梅幸は
ちょつと自分の方を見た。自分は何だか嫌な気がして、匆々貸下駄をはいて外へ出た。SやSの妹たちはもう外に
立つてゐた。ちょつとMの来るのを待つてゐると、女中が下駄ばきで午飯のメニユーを持つて来た。
往来で「チキンカツレツにお椀に」などとやるのはちよつときまりが悪かつた。これは何もSの妹たちに対して
ではない。女中がSやMにメニユーを見せてゐる間に 自分はHやSの妹たちと宿の前の路へはひつた。右側が
別荘の塀になつてゐ、左側はやはり石垣をつんだ別荘の庭になつてゐる。その小路へはひつて四人とも立ち止まつた。
が、自分は手もち無沙汰だつたので少し先歩いて行き、綺麗な流れの橋の上へ行つた。ふりかへつて見ると、
もうSやMもおひついて皆こちらへ歩いて来た。
テニスコートを見た。それを見るのはMの発議だ。けふは女は一人もテニスをしてゐない。皆男ばかりだ。
テニスコートの横を万平の方へ歩きながら、Mは「万平へ行つてアイスクリィムをのまう」と言つた。
自分は三尺をしめてゐたし、素足だつたし、ひげものびてゐたから、それに反対し、Brett's Pharmacyで
アイスリィムをのまうと行つた。Brett's Pharmacyと言ふのはコートの側にある薬屋なのだ。Mは「ぢや
よすか」と言つた。橋まで行つてひきかし、(auditoriumの芝生には白樺の影が落ちてゐた。)Brettへ
はひつた。板張りの床へ下駄で上るのはいつもながら気がとがめた。皆でココアサンデエをのんだ。自分の隣
にはI子さんが坐つた。I子さんもY子(Sにきいた)さんも言葉少なだつた。相客にスポオトできたへ上げたらしい、
体格の好い二十七八の男が学生と一しよにゐた。二人とも運動服を着、ラケツトを持つてゐた。(自分のパナマを
Sが褒めた。自分はそのパナマの手にはひつたことを話した。Y子さんはパナマを手にとつて見て、「上等でござい
ますわね」と言つた。)自分はサンデエをもう一杯のみたかつたが誰も賛成しなかつた。
郵便局の前でYに別れた。Yはそれから千が滝にかへるのだ。かへる時にあした来ないかと言つた。行つても好いと
答へた。
煙草屋の横をはひり、アタゴ山の方へはひつた。別荘ばかり並んだ小路だ。一二町行つた所でMは「休まう」と言つた。
Mは疲れ易かつた。男は皆別荘の低い石垣に腰をかけて休んだ。女は立つてゐた。それが如何にも手もち無沙汰らしかつた。
五分ばかりして引き返した。西洋人の子供が二人自転車にのり、「はい はい」と変な調子で言つてゐた。
往還へ出る角の果物屋へより、Sは浅間ぶどうを買つた。紫より藍に近い色のぶどうだ。「西洋人は煮てジヤムにする」と
果物屋の主人が言つてゐた。買つたのはSの発案らしかつた。往還には西洋人の青年と子供とが大きい犬を二匹引つぱつて
ゐた。ちよつと無気味だつた。水車の横を通り、宿へかへつた。
その晩自分は自分の部屋で食事をした。それからMの部屋へ行つた。MはSとビイルをのんでゐた。Sの妹たちは部屋へ
かへつてゐた。自分はSにY子さんの名を教はつた。Sは「あれ Tが好きなんだ。あれもTの小説をよんでゐる。君のも
Rだけはよんでゐる」と言つた。MはY子さんよりもI子さんが好きらしかつた。「あの顔は特色があるね」などとも言つて
ゐた。そこへHも来た。それから皆で花をやるかKさんの麻雀戯をかりてやるか、どちらかしようと言ふ事になつた。
が、麻雀戯はMもSも知らないので(Sは教はつてもやりたがつてゐたが)花にする事にした。花は宿のを借りた。
カトオサンが持つて来た。黒ばかりだつた。
花はSの部屋へ行つてした。妹たちはもう二人とも浴衣に着かへてゐた。生憎碁石は宿で碁を打つてゐる人に借りられて
ゐるので、その代りにSの名刺を使つた。Y子さんは小さいサツクにはひつた日本鋏を出し、Sの名刺を四つに切りながら、
「何しろ鋏が小さいものだから」などと言つてゐた。三十一と聞いて見れば成程もう皮膚も荒れてゐる。しかしSには多少
甘えた、親しみのある口をきいてゐた。M、S、I子、Y子、H、自分の六人に名刺の切れを分け(一枚一貫)、借り貫は
軸の赤いマチにきめ、更にSが規則を半紙へ鉛筆で書いた。Mは面倒臭がつて「もう好いぢやないか」と何度も言つた。
花は一勝一敗あつたが、Mの親になつた時、Mは札を配る前にSにのぞんで貰ふのを忘れた。それをSに注意されてやり直した。
やり直したが今度はまく順を間違つた。それで又やり直すと、今度は又のぞんで貰ふのを忘れた。皆可笑しがつてMに
いろいろの事を言つた。Hも「Mさんはうちで花をやる時に僕等が何かやると、生意気だと言ふ」と言つた。するとMは
怒つてHの顔を見、「僕がそんな事を言ふかな」と言つた。と思ふと花をチヤブ台に叩きつけ、「よさう」と言つて部屋へ
帰つて行つた。皆ちよつと毒気を抜かれた。Mは癇癪を起す動機を数日前から蓄へてゐた。それは第一に天候、第二に
隣室の肺病の客、第三にKさんなどと話す時にHや自分に優先される不快、第四に今日立たうとしてゐた所へSの来たこと
などだつた。
僕らはつづけて花をやつた。Hは存外ふだんと変らなかつた。Sは「あれはM君の癖だ」と言つた。しかしMの気もちを劬はる
気色はないでもなかつた。一番その時特色のあつたのはY子さんだつた。Y子さんは濃い眉一つ動かさずに「すぐにお直りに
なるんでせう」と微笑してSに尋ねてゐた。いかにもそんな事には慣れ切つた態度だつた。どこか冷たい強さのある態度
だつた。そのうちにSは便所へ行き、かへつて来ると、「今M君の部屋を覗いたら、よく寝てゐる」と言つた。「寝てゐても
眠つちゃゐないよ」「さうかな」ーーそれから皆花をした。
その晩R氏が自分の俳句の悪口を言つたので、自分は怒つて、R氏の銅色の頬をぴしやぴしや打つた。しかしR氏はすまして
悪口を言つてゐる。それを父や叔母が心配してゐる。そんな夢を見た。あけがたに見たので、さめたあとも変な気もちが
して不快だつた。Mの怒つた印象が夢になつたのだと思つた。

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と、 だいぶ違います。

萩原兄妹の来訪は犀星の当時の日記から、大正十四年八月二十四日のことだとわかります。
芥川のは未発表の日記で大正十四年九月筆とされており、犀星の「詩人・堀辰雄」は昭和二十八年九月筆、
記憶の面でも芥川の方が正確な経緯が記されているんでしょう。
犀星の実録的な文章は記憶の錯誤が多く、別の文章だと記述が変わってることも多々あり、犀星が書いてるからそれを事実とみなすのはあまりよろしくないとは思います。あくまで犀星の記憶の中での人物像であり、それが実像ではないけれども
生き生きとした人間、キャラクターとして我々の胸に迫ってくることが大事なんであってそこに小説の妙技といいますか…
何を言ってるかわからなくなりましたが…
それに、30年近く経ってもこんなに覚えている犀星すごい!とも!
(ところで、犀星がもっと前の時期に、アイさんもいたように書いている文章も見た記憶があるんですけれどちょっと見当たらず…記憶違い??ご存知の方いらしたらご教示いただけますと幸いです…)

ただ、犀星は堀辰雄が自分の様子を見に来たと思っているけれど、実際は朔太郎が見にきていたらしいところがちょっと切ないですね。

犀星の記憶の中では軽井沢に同行してないことになってしまったアイ(愛子)さんは、のち三好達治と結婚、一年足らずで離別した
方ですけれども、前も書いた気がしますが本当に朔太郎氏に似ているなあと感じます。
ユキ(幸子)さんは、よく朔太郎関係で出てくる写真、朔太郎がマンドリンを抱えて椅子に座り、膝下に座り寄り添っている女性その人です。犀星が書いているように朔太郎が一番大事に思っていた妹らしく、若い頃の長文の手紙が残っています。
芥川にアイさん派と書かれている犀星は、アイさんについては少女時代から知っていて、以前紹介した『我友』など、佐藤惣之助追悼関係でもたびたび書いており、気遣っている様がうかがえます。
三好とアイさんの件は知らなかったようですが、もし知っていたら犀星ならどんな風に書いていたんだろうなあ…と思います。
なお、三好とアイさんについては、既に参考文献にあげている以外にも、
二人が三国で暮らしていた頃交流のあった畠中哲夫氏の『三好達治』(花神社、1979)『詩人三好達治 -越前三国のころ-』(花神社、1984)もおすすめです。『天上の花』の作者萩原葉子氏との対談も収録されています。
01.11
Sun
2015年元日をもちまして
三好達治氏作品がパブリックドメインとなりました。
今後三好氏の詩が紹介される機会が増えますよう願っております。

青空文庫では処女詩集『測量船』が公開されていますね。

今日は以前
>>>こちらの記事で
好きな詩に挙げた三作を紹介します。
何故か後期のものばかりですが…初期の詩も好きなのでまたおいおい。

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日まはり
日まはり
私の胸におくために
この勲章は上出来だ
私の生涯の終つた日に
友よ私の胸におけ
この黄金の大輪の
さも重たげな一輪を
花の言葉に聴き惚れて
つい人の世に夢を見て
夢からさめずにゆきすぎた
仕合せな
不仕合わせな
これはその男のための勲章だ
日まはり
日まはり

ーーー「日まはり」三好達治『花筐』

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落葉つきて 梢こずゑを透く陽ざし
冬の夕陽をしなやかにゆりあげる彼らの仲間
みなひと方にかたなびく欅の梢
ここの並木の瘤こぶの老樹の肩 胸 腰
腰かけほどにくねり上つたその根かた
さけてよぢれて傾いた変な窓から
この変てこなうつろからさへやつてくる
ついそのそこの刑務所の とりとめもない壁のかげ
監視櫓の八角塔 そのひと方の窓硝子の 赤い夕陽のしたたりから
今しがた身じまひのできたばかりの黄昏どきが
やつてくる
やつて来る一つの風景
風景こそは
いつもどこでも私にふさはしいものであつた
百年もながい間私はそれを眺めてゐた
さやかな ささやかな しづかな しなやかな梢こずゑを透く陽ざし
もろ手をあげてしなやかに冬の夕陽をゆりあげる彼らの仲間
さやうなら
こんばんは
遠い遠い過去の方から ぽつかり月が浮び出た
浮び出た追憶の
さうして この古い空洞(うろ)から出てゆくのは
さてもうあの世の新しい私でせうか

ーーー「落葉つきて」三好達治『百たびののち』

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百の別離
百たびの百の別離の 百たびを重ねたのちに
赤つさびた双手錨がごろりとここにねこんでゐる砂の上
こんな奴らのことだから 素つ裸さ
吹きつさらしの寒ざらしだ
それでもここの浜びさし 軒つぱには陽がさして
物置きだから誰もゐない
そこらの海はうす濁つて いづれ誰かの着ふるしさ よごれた波をうちあげる
忘れたじぶんにもう一ど 七つさがりの 袖たもと……
ああもう何の用もない古い記憶をうちあげる波うちぎは
俺はまたこんな世間のはづれまで何をたづねてきただらう
世界ぢゆうはここからはずつとむかふの遥かの方で
電波塔よりなほ高く煙火やなんぞ打上げてお祭気分でゐるらしい
それも昨日の をとと日の いい気なもんさ
三年前のふる新聞にもぎつしりの その出来事で今日もまた
ぎつしり詰めのマッチ箱 よくよくそれを積み重ね
流れ作業でかきまはし……
だからそこらの煙突は休まず煙を吐いてゐる
吐いてゐる
工場街はでこでこに積木の上にもう一つ 充実緊張傾きかかつたざまはない低姿勢だ
今日の夕陽の落ちかかる岬の鼻までせり出して
時には汽笛(ふえ)もふくだらう
こんなところにやつてきて俺の見るものは
踵(かがと)のきれたぼろ靴が二足半ほど
そいつも煙は吐いてゐる 古ぼろ船が艫(とも)をそろへて
痩せつこけたおふくろの あすこの桟橋の下つ腹にかじりついてる
ああいぢらしいそんな家畜にせつせとブラシをかけてゐる水夫たち
ポンポン・ルウジュの鼻唄まで
いちいち俺はていねいに眼がねでもつてのぞいてやつた
ーーたしか去年の春だつた
たしかにあれは夏のすゑ いやもうそれは秋だつた そんな日なみに
倉庫のかげから飛んでゆく 白くほほけたタンポポの 小さな綿毛の
ヘリコプターの飛んでゆくのを見たつけな
つかぬことまでもう一つ ここにきて俺は思出した
思出した つまりは もう一度それを忘れた きりもないこと
げにげに俺の見るものは ここらあたりの見渡しは
づつしり重い風景で そいつが俺を軽くする
ああ俺を 軽くする 重くする 重たくする
こいつに限るよ
どうだらう
夢のやうにも軽々と
づつしり重たく赤さびて ああ俺自身肱を張つて
遠い遠い別離のあと こんなところでねこんでる 砂の錨だ

ーーー「砂の錨」三好達治『百たびののち』

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それからこれも…。

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我ら戦争に敗れたあとに
一千万人の赤んぼが生れた

だから海はまつ青で
空はだからまつ青だ

見たまへ血のやうな
ぽつちりと赤い太陽

骨甕へ骨甕へ 骨甕へ
齢とつた二十世紀の半分は

何も彼もやり直しだと跛(びつこ)の蛼(こほろぎ)
葉の落ちつくした森の奥

まどかな丘のひとうねり
冬の畑の豆の花

歴史は何をしるしたか
雲が来てすべてをぬぐふ

まつ青な空
まつ青な海

飛行機はあそこに墜ち
軍艦はあそこに沈んだ

万葉集の歌のとなりに
砲弾の唸りをきくのは

まばらに伐られた林の奥に
それは何ものの影であらうか

けれどもまつ青な
空と海

我ら戦争に敗れたあとに
一千万人の赤んぼが生れた

ーーー「我ら戦争に敗れたあとに」三好達治『故郷の花拾遺』

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それからこちらも>>>以前とりあげた
「脱俗に徹した"息子”ー萩原朔太郎先生を懐ふー」が、
たぶん全集以外だと入手困難だと思うので紹介致します。

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萩原さんのことは、以前にもいく度か書かうとしたことがあり書いたこともあつた。
あの風貌人柄は私の書きとめておきたいと思ふものの、ーーさういふものの数少いうちの
最もだいじなものの一つであるが、いくらかでも得心のゆくやうに書きえたためしがない。
人間を写すことはむつかしい。あまつさへ、あの人柄はあまりに特異で、あまりに高雅で、
高雅な点でいつもおどおどしてゐるやうな風で、どこやら滑稽じみてゐて、時にはそれが
たいそう毅然として見えるやうな風でもあつて、無上に子供つぽく、その癖いつもしんから
デスペレートになげやりなやうな風にも見えた、ーー等々とにかくあの人とむき合つて
気軽な雑談を交へてゐる間にも、そんな場合の世間なみの普通な落ちつきを当方覚える
ことはまづなかつた。至つて内部的な人柄であつたし、そんな人柄の常として屢々トンマ
でもあつたし、鋭利に敏感でもあつたから、あれでは日常家庭内にあつても先生はいつも
孤独でゐるより外はあるまいと思はれるやうな具合であつた。
 先生は良家の育ちで、日常生活はそれでも時間的にはまづ規律正しくきちんと運行して
ゐるやうであつた。十一時頃には門扉は堅く閉つてゐた。いつぞや辻潤たちの一団が
その時刻をすぎて大声に萩原君萩原君としつこく門扉をたたいて呼ばつたが返事はなかつた。
 辻さんは例の無遠慮から、たいそうおせつかいな話と思はれるが、ーーもう室生君などと
つきあふのは君よしたらどうだい、あんなわからず屋と君が親友でゐたつてつまらないね。
友情の輸出超過といふものぢやないか云々、といふ筋の忠告を、たぶんは揶揄ひかげんに、
それも好意的にいつたといふ、そんな雑事を先生はその頃私にもらされた。さうして、
辻のいふのはもつともだよ、といつて笑はれた。けれども僕が、なぜ室生を愛してゐるかは、
辻にはわからないんだ、と語尾をかすかにしていはれた。愛してゐる、といふ言葉は
私のホンヤクではない、その時たしかにさういはれたのを忘れない。萩原さんは律儀な人柄で、
『虚妄の正義』のあの虚無的破壊的な思想は、あの人の思想のたしかな城廓ではあつたが、
さうしてあの人の全生活もおほかたそれに支配されてゐたが、そんな荒々しい突撃的な
やり方(ーー思想)のフルヒにかけた後の、フルヒ残されたかすかな、奇妙に閃光的なしかし
凡常な(ーー世間なみといふのとも一寸ちがふ)人情をだいじにしまつてゐられた。
 ノネといふのはシェパード崩れの猛犬であつたが、日頃いつかう眼にもかけないその飼犬が
姿をかくすと、一晩気になつて睡れなかつた、といふやうなことも話してゐられた。
 ノネと室生さんとを同日にいふのは失礼だが、中期以後の室生さんの作風制作態度が、
同人雑誌『感情』時代『抒情小曲集』時代からの引続きとはいつても、とつくに質的転換を
とげて、だいじな部分で重点がきり換へられてしまつてゐることに就ては、萩原さんの側
からはその時々の柔軟な理解はまづ乏しかつたやうな風であつた、ーー後年の室生は室生の
つけたしさ、といつた風に一からげに萩原さんには考へられてゐたやうな風に、ほとんど
ありありと明らかに傍らの私には看取された。かの旧友は、呼びもどさなければならない
ところの、雲隠れしたノネのやうなものに、萩原さんにとつては、いつまでも考へられてゐた。
まづそんな具合であつた。『感情』時代『抒情小曲集』時代の室生犀星は、たしかにその時代
比較的永かつた闇中模索時代の萩原朔太郎にだいじな詩的点火者として、彼の進路にヒントを
与へるところがあつた。私の推測では凡そ左様に考へられる。ことは偶然であり、図らずも
であつたけれども、それだけにことの意味は傍看者にとつてより萩原さんにとつて特殊で
あつたに違ひない。室生と僕とは、どちらがどう影響したか、相互に影響があつて、後には
こんがらがつて分らなくなつてしまつた、と萩原さんは当時をふりかへつて語つてもゐられたが、
それも間違ひでなささうなのとともに、両者に共通する当時の詩風ーーそれが『月に吠える』の
基盤となつたあの非論理性を含んだ詩風詩法は、萩原に於てよりも室生に於てより初発的気質的
自然発生的なものに、最もナイーブに受けとつて差しつかへなささうに考へられる。萩原さん
にもそのしんそこの感じあひはあつたに違ひない。室生は大哲学者だ、とそんな奇妙なことも
唐突にいつてゐられたが、どこが哲学者なのか正確には解しかねたが、不正確にはそれがよく
分るやうな何かの感じはあつた。嘗ては実態のあつたその何か、ーー遠い過去を萩原さんは
彼のものとして律儀にいつまでも腹中にしまつておかれたやうな風であつた。辻には分らない、
と声をひそめるやうにいはれたのは、そんな事柄ではなかつただらうか。ーー少しく私の推測が
過ぎたであらうか。
 いつかはまたこんなこともいはれた。君は白秋に会つたことがあるか、ないなら一度伴れて
いつてあげよう、ーーそれからつけ加へて、白秋は威張りたがるのでね、と妙なおつくうらしい
顔をされた。以前にかういふことがあつたと、めつたにさういふ打明け話をされることのなかつた
萩原さんが、その時こんな話をいくらかてれ臭さうに話されたのは私にはたいそう印象的であつた。
内容は次のやうであつた。
 ある会合で久しぶりに会つた白秋が、ちよいと萩原君と廊下へ呼び出すのに従つて外に出ると、
突然、君、君が僕を、北原君といふのは失礼ぢやないか、といふ詰問であつた。その前何かの
文章で、僕が白秋を「北原君」と呼んだ言葉使ひが気に入らないといふのであつた。さういはれて
僕は、不意を打たれて、戸惑つたが、考へてみた。「北原君」でもいいではないか。僕は白秋の
お弟子ぢゃないし、格別推挽をうけて世に出たわけでもないんだから。現に室生は、座談でも
いつでも、北原君北原君と気易げに呼んでゐるではないか。僕がある文章で「北原君」と書いたのが
失礼だらうか。窮屈な話だ。ーーさうは考へたが、考へてみると、白秋は先輩だし、仕事はあんなに
立派だし、僕も昔は白秋を愛読したし、そのお陰は蒙つたといつてもいいし、詩集に序文など
書いてもらつたこともあるんだから、どうもね、「北原君」などとは、いつてはいけないのかしら、
さういふものかとも考へた。廊下に呼び出されて、叱られるのは、不平だつたが、僕は、頭を下げて、
あやまつておいた、云々。
 僕は最初に、「北原さん」といつたので、損をしたよ、室生のやうに「北原君」といつておけば
よかつた、云々。
 私は別に白秋に面識を得たい希望はもたなかつたが、その後間もなく、萩原さんに伴はれて、
近くの緑ヶ丘に一度白秋邸を訪ねたことがあつた。何を話したかは記憶にない。白秋は格別威張り
かへつてはゐなかつたが、例の豁達な人柄を、見せかけの上で、いつそう鷹揚にふるまつてゐるらしい
風には見えた。レコードになつた自作の童謡を、いくつかかけて聞かせたりして、こちらは手持ち
無沙汰なのを、御当人御機嫌のやうに見えた。萩原さんのお宅では、粗忽者のノネが、玄関から、
次の間、奥座敷を泥足で駆けぬけて、一直線に裏庭に飛び出すといつた次第であつたが、北原邸
では、手放しの腕白小僧が窓口によぢ登つてわめき散らしてゐた外、室内室外、一応ハイカラに
派手に洋風に、きちんと整理がついてゐる様子であつた。
 私どもの時代には、白秋詩の魅力は、その一と昔以前に較べて、半減以下にも値下りをしてゐた
だらう。私自身も、実はその傾向圏内にゐたから、時たま談が白秋に及ぶと、渋つたらしく生意気な
口をききがちな傾向にあつた。萩原さんは、別段それを聞きとがめる風ではなかつたが、たいていは
微かに不機嫌な顔をされた。ある時は口をつぐんでしまはれた。またある時は、何かの言葉で
(その言葉は忘れてしまつたが)強く私の不謹慎をたしなめられるやうなこともあつた。
 文章用語の「北原君」はともかくとして、ーーそれから当時大森馬込村に萩原さんがゐられたじぶん、
ほど近い白秋邸に出向かれることなどほとんどなかつた交遊状態の疎遠の程度はともかくとして、
やはり萩原さんは、白秋に対してある内密な、親愛以上の敬愛、尊敬をいだきつづけてゐられたと
いつて間違ひない。それはずつと晩年までつづいて変らなかつた。『桐の花』以後の歌集などいつかう
つまらなげにいつてゐられたが、それらを詮議だてするほどの興味もなささうな態度であつたけれども、
先の白秋観はあの人の内部で依然として消え失せた遠い過去の実態を失はなかつた。後の白秋は白秋
のつけたしさ、無用の蛇足さ、といつた底の見地は対室生の場合とほぼ同様であつただらう。
さういへば、萩原さんにはその種の変化がなかつた、それも確かなことであつた。
「萩原といふ男は、俗気のゾの字もない奴だから」とある時日夏耿之介先生がいはれた。日夏さんの
極めなら太鼓判といつていいだらう。「萩原さんに会つてゐると一家の主人といふ感じはしないね、
いつまでも息子だ、あの人は」と堀辰雄君が穿つたことをいつた。その通りであつた。萩原さんは
良家の出で、生計の苦労といふものをあるほんの短い期間をのぞいて(これも私の推測)生涯知ら
なかつた。させたくない人にそんな苦労をさせなくて済んだのはまことに偶然の幸運だつた。
先生がそれを幸運と考へてゐられたかどうか、多く念頭になかつただらうと思はれる。「朔太郎は
うちの財産をふやしもしませんでしたが、へらしもしませんでした」と先生の没後老母堂は語つて
ゐられた。先生は家厳の逝去後家督を継いでゐられたのだから、萩原さんならだらしなく家産を
蕩尽してしまひさうにも一寸考へられるのだが、さうでもなかつた。新宿あたりの場末のつまらぬ
酒場を毎晩のやうにほつつき歩いてゐられたのは、あの人としてはのつぴきならぬ思想の持てあまさ
れた到着点であつて、その外の何ものでもなかつた。好事の人は読んでごらんなさい、散文詩
「虚無の歌」はその最晩年の心境を語つてあますところがない。

ーーーーー「脱俗に徹した"息子”ー萩原朔太郎先生を懐ふー」『三好達治全集 第五巻』筑摩書房、1964


「虚無の歌」は以前紹介した「蟲」と同じ『宿命』に収録されています。
10.28
Tue
今日は『定本室生犀星全詩集』全3巻 冬樹社、1978から紹介します。

現在本編では、犀は昔の恋人と同じ名前のハルコという少女と一緒にいます。
犀星は大正初期、春子という女性と恋愛関係にありました。
遅れて艶という女性とも関係を持っていました。
以前番外編で朔太郎の書簡を紹介しましたが
そこにもOYEN、OHARUとして名前が出てきます。
(この艶は当時女詩人おゑんとして、犀星が手を入れた詩を発表しています)

大正3年の犀星が春子に捧げた詩を紹介します。
*************************

  愛人野菊に贈る詩

愛人にして、
わが愛心を極むるの野菊よ
君の友はことごとく嫁ぎ
君のみ居残る。
あまりに臆病に
あまりにおとなしく
あまりに可哀く
あまりに子供らしき春子よ
君の今あるは群衆の中
土くさき田舎青年は
君の処女期を盗まんとして言ひ寄る。
ねがはく蹴散らせ。
われを守り
われを愛愛し
われを祈り
われにより深酷の幸福を得よ。
われは市井無頼の子なれど
君の無知と聡明と
肥えたる肉体を知り
すべての縁談を断はりて孤独なる君を知る。
郷国夜半
君とともに怖るる君とともに歩めるとき
君は世間を怖れ
人を恐れ
語らんとすれば帰らんと言ひ
帰へらんとして猶ほ躊躇たる春子よ。
わが腕にもたれつつ
なほキス懼れ
くちくせに死ぬるといへる野菊よ。
思へよ
いま君は十九の秋に入り
心神かたみに熟れ
肩は圓く
          、、、、
ここちよく腰部はこれぐんないなり。
抱擁愛々日もただならざる時なり。
しかれども春子よ
われは君の処女期を破り
肌を荒らし
脣を吸ふの清浄の子なるべきかを思ふ。
また神のごとき心霊を衝き破り
君を汚し果つべきかを思ふ。
われは放埒無頼。
肉体腐乱。
はる子よ
ただ聞け
われは真念一つなり、
感謝しつつ
威嚇しつつ
君の足を大拝し
あるひは侮辱し
頬と頬とを合掌す。
光威
刹那にあらば君はいちはやく生め。
愛々うつつとなり
人と魚との半ばに位ゐす
真念凝気の煙を生め。
まことに昨日
叫びて抱き
股を割り
股を割りつつ生み落としたるは純白の犬。
純白の魚。
天にはづることなく
天に捧ぐるのわれの愛児なり。
郷国新秋の午前
われら手を交しつつ祈る
われらの親善と交誼との永遠に亘り
世上あらゆる迫害冷笑の来らんこと。
はる子よ
はる子よ
君はその母のために勤め
勤めつつ若くして疲れ
ひたひ青ざめし室生犀星の愛人よ。
われは君のために盗み
君のために殺し
君のためにピストルを懐中す。
君のかたへに寄るもの
犬のごとく群るるもの
やがて我ピストルをして舞はしめんのみ。
はる子よ
又の名の野菊よ
ああ世界の群衆より選択したるの春子よ。
われは君の情夫として
われはまことに君に足る。
君にして万一に叛き
万一にして去らば
たちまちにして銃殺す。
愛は国家を超え
天を超え
狂気を超え
君に早や喰ひ入る。
はるこよ。
はるこよ。

*************************

朔太郎は「愛の詩集の終りに」(室生犀星『愛の詩集』跋文)で次のように述べています。

#########################
 その頃此の国の詩壇は傷ましくも荒みきつて居た。新らしいものは未だ生れず、
古いものは枯燥しきつて居た。
 室生と私とはここに一つの盟約を立てた。我等はすべての因襲から脱却すること。
我等は過去の詩形を破壊すること。我等は二身一体となりて新らしい詩の創造に尽力する
こと及びその他である。
 その頃、室生の創造した新らしい詩が、どんなに深く私を感動せしめたことであらう。
私は日夜に彼の詩篇を愛吟して手ばなすこともできなかつた。
実際、当時の彼の詩は、青春の感情の奔縦を極めたものであつた。
 燃えあがるやうなさかんな熱情。野獣のやうな病熱さをもつた少年の日の情慾。
及びその色情狂的情調。何ものにも捉はれない野蛮人めいた狂暴無智の感情の大浪と、
そのうねりくねる所の狂的なリズム。此等すべて彼の創造した新らしい芸術は、
一一に私を驚かし、私の心にさわやかな幸福と、未だかつて知らなかつた
新世界の景物を展開してくれた。
#########################

この、犀星の初期詩の野蛮な面は
『抒情小曲集』ではあまり感じられないかもしれません。
しかし上記の「愛人野菊に贈る詩」のように、
雑誌に発表したものの詩集に収録しなかった作品はかなりワイルドです。
機会がありましたら、『室生犀星全詩集』で触れてみてください。
朔太郎初期詩編に大きな影響を与えていることもよくわかると思います。
同じく春子に捧げられた、「電線渡り」というワイルドすぎてここに載せられない作品もあります…
141028.png

以下、大正四年一月の、これまたワイルドな詩も紹介します。

*************************
  サタン

私は悪魔
私は現はれ
けむりて消ゆる
おまへの身のまはりを
私はたえず形となり
影となり
おまへの住宅の床下に
地下室
地下電線
二階へは縄梯子
おまへの秘密な裸体をも見た
おまへの卓上に深夜手紙を置き
おまへの真蒼にせんりつするを見た
手紙はサタンの祈り
おまへはいかに凶悪なるものに思はれ
身動きならず泣くを見た
おまへの住宅と器物とに
     、、、
私の神経はえれきになつてゐる
おまへの拒絶の眼を向くるところは
、、、、
ぴすとるの口
サタンの接吻
サタンの強制
私はあらゆる犯罪を背負ひ
智識を錬磨し
畫はチグリスズムの稿を急ぎ
   、、、、、、
変相のあらびやごむを練る
眼は義眼
靴の底にも火薬
悪魔なみだを知らず
悪魔なみだを知らず。

*************************
『定本室生犀星全詩集』第一巻 冬樹社、1978
10.27
Mon

というわけで(前の記事より)作品紹介です。
今日は北原白秋『芸術の円光』より「山荘主人手記」
(『白秋全集 18』岩波書店、1985 所収)
大正十一年、犀星と朔太郎が小田原の白秋宅を訪れた際の手記です。
白秋が犀星や朔太郎の人となり、日常的な関係について書いていることは少なく、珍しいものです。
家庭の安定した三人の久々の交流の楽しさが非常に良く伝わってきます。

朔が一話で嬉しくてぴょんぴょん跳ねているのは、
『月に吠える』白秋序文での

外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその四肢(てあし)が常に鋭角に動く、
まさしく竹の感覚である。而も突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震はす時、
君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から涙がこぼれ落ちさうで、
何かに縋りつきたい風である。

からとともに、この手記の記述からもきています。
141027.png


************************************

山荘主人手記

わが友の山荘訪問記にならひて、われもまたひそやかなる主人の手記を認めむとす。
こはほほゑまるることなり。

われもまた友を待つこと久しかりき。来らず、行きて見ず、かくて長く相合はざることの幾年なりけむ。
室生と萩原が来るぞ、かく二人の消息をうち見て我が驚き喜びてより、ひねもす日は永くてさらでも暑き
油蝉のいりつくれば、堪へがたくも待ち喘ぎけり。とくよりかの湯ヶ原にをさまりゐるといふに、
何とてその往きには立ち寄らざりけむ、兎にも角にもいましめ置くべきなり、とは思ひつれ、かのゐるは
如何なる貴き高楼にやあらむ、絶えて消息のはしにだに記さざれば、さて此方より云ひやるよすがもなし。
さて三日経ちけり。

今朝こそ来らむ、迎へに、行かむか。髯や剃らむ、などまだひそやかに取沙汰せるうちに、門には早くも
人のけはひして、よき家ぞ、カンナも咲けり、こは何といふあやしきサボテンぞなど笑ひぞめく。
かの声なりと思へば思はずも走り出たり。

犀星の稜立ちて痩せたる、髪長き、鉄無地の絽の羽織ひきかけてやや取り澄ませる。朔太郎のはにかみて
慌ただしき、その白麻の下衣の襟広なる、ボヘミアンネクタイ房々と垂れて、さて横顔の痩せて笑へる。
むかしのままなり。犀星夫人は豊かに丈高く、うしろにちらとかくれし下げ髪の子の、水色に薄藍色の
洋装したるが、脛ほそくいたいたしげなる、その靴の小さく白きもよく目に立ちぬ。

階上の書斎にて、ひさびさにて皆相向へばうれしき事かぎりなし。犀星、何といふデスクのいかつさぞ、
何といふ大きなる書架ぞなど相変らずなり。さて土産なるがこの凡てをわが贈り物とな思ひそ、缶詰は
朔太郎よりのなれば一寸と知らすなり。かく云ひ置かざれば朔太郎が、さぞ困るならんと犀星云ふ。
心直ぐなる人かな。笑はむにも笑へじ。

皆々涼し涼しといふ。朔太郎の偏屈は今に初まらねど、かの旅館のあやしき、我等みな日干の沼にあぎとふ
青きさかなのごとかりき、とても辛き目見せられたりと犀星、さればこそ消息にも秘めたれ、とがめられぬ
前に予め白状し置くなり、我は朔太郎故にはいつもいつも恥掻くなり、我らが如き一流の人はこの後とても
いよいよ心すべきなれ、白秋よ、さにあらずや、とまた彼はをかしくも附け加へぬ。

旅に出でては我がごときも気をかねて、たとへば手をたたくことすら憚るなり。かく我が云へば、さなり
さなり、これは何といふ困つた事ぞと、犀星首うちゆるがし、垂れさがる長髪をうるさげに搔き上げて笑ふ。
茶料などいかほどのものにや、その心づかひがたまらぬ故大きなところには得は這入れぬなり、と朔太郎も
いとあはれなり。いな、朔太郎は毛唐まがひゆゑボラれるなりとまた犀星いつもの癖なり。凡てはブルジョ
アどもの罪ぞ、されども我等とても自働車といふものにてかくはるばると駈け来れるなれば驚く勿れと犀星
また髪を搔き上ぐ。よくも墜落せざりし、かの片浦の断崖(きりぎし)こそは危ふかる青ざめぬべき難所な
れ、心すべしと胆ひやせば、皆々胆ひやすも時遅れたり。

寝室のドアの白き把手をわがひねりて、ないしよだよとひそめきしはまことなれど、その壁の緑なる、窓枠
のピンク色せる、あはれや二人は見のがしけり。我もまたはたと閉めたるぞおぞましき。窓よりは柿の実の
青きが、孟宗が、さては函根の炭焼の煙など、その眺めたとしへもなく美しきを、遂に二人とも再びとは
得は拝めざるらむ。さぞな悲しく口惜しからむよと思へば、あはれともあはれよ。をかしともをかしよ。

離れの庵室は皆々見て喜びぬ。何といふ簡素ぞ、何といふ幽寂ぞ、この竹林の緑なる、何といふ小鳥の声
ぞやなど、何といふが口癖のその人ほとほとに見惚れ見飽かず。曾つては露風も坐りて動かざりきと、我。
さるにてもうとましきはかのかまきりちふ虫、尺にもあまるらむが、かさりかさりと匍ひ出でたる、こは
何といふ幽けさにやあらむ。犀星ならずば誰か眼を皿にして見て喜ばむ。十枚がものは書けるといふ。

さて母屋に還りて、改めて妻と我子とを人々にひきあはしつ。我が愛児は君にもあはれなるべしと、我
たゞちに妻の手より奪ひて、高くさしあげ、眼よりも高く差し上ぐるに、犀星、我が豹太郎にも我も亦かく
ありき、今は亡しと顔をそむけたり。その夫人の長き睫毛にも涙たまりてこぼれむとす。よしなき我が身の
喜びを見せて、人をも悲しませつるかと思へば口惜し。

最早や午にも時過ぎたり、遅れたれど手づくりの粗餐まゐらすべしとて食堂へ妻が案内するに、よき
フアイアプレースなりと朔太郎一目見てほめたたへぬ。こは英吉利の百姓家の風情なり、まだ何一つ飾り
とてととのはねば寂しと我が答へたるに、これにてよし、満点ぞと彼はまた童児のごとくうち喜びぬ。
よき友垣かな。

皆々席につくに、白きテエブルクロース、皿、ナイフ、フオク、一輪挿しの黄のカンナなど、あやしけれど
たゞ型のごとくに並べたるに、庭前のコスモス緑に映じて、やや眼を喜ばしむ。さて皿といふ皿に乏しく、
人手少なければ、スープその他、つぎつぎと大きなる鉢どんぶりのたぐひにて盛りて出す。人々の匙もて
食ふにまかせたるなり。犀星、こは仏蘭西料理なるべし、いしくもととのへたるかな、贅を極めたる貴族の
食料なり、こは何といふ肉ぞ。雛鳥のトマト煮ならしと朔太郎が云へば、うまきかな雛鳥、朔太郎汝の
雲雀料理は常にその詩にて風味したるも、(白秋よ、朔太郎とてもまことの雲雀料理は食ひたる事なからむ。
あれは詩なり。)おそらくこれ以上には出でざるべし、こはまた何といふものぞ、トンカツにもまされり、
夫人よ、夫人はまさしく文明食物のよき味感を解したまへり。おそらくは天才にやあらむ。まことにこは
欧羅巴人の巧みなり。いないな、さる宣教師夫人につきていささか習ひおぼえたるのみなるを、君の褒辞は
当らずと、流石は鼻じろめど、この山妻すくなからず心足りげなり。さるにてもはしたなき厨女かな。
なになればとて彼女はうどんの如く、いな、マカロニのごとくもげらげらと転げ笑ふにや。とても叱りつけ
むと思へど、早くも厨に逃げゆきしか、影も無し。

さて、いつもかかる欧羅巴人の食事を認むるや、パンのみかぢるにや、最早や一切米の飯は食うべぬと云ふ
にや。と犀星何をか驚きけむ。米を食べぬといふにはあらず、常にまたさる美食も我等の乏しさにては得叶
ふべきにあらず、簡易なればパンは時たま用ゐるなりと我が云ひ解けどもきかず。とてもすばらしきぞ、
紅茶もゼエリイも水菓子も正式に今日は附けるにやと訊く。それはなかなか、ともかく何か差し出さむ待ち
たまへと我が笑へば皆々声を合せて笑ふ。中にも朔太郎さもをかしげなり。

ほうヴィクタアの蓄音機も買うたるか、我が家のより大きなるは、これはまた何としたことぞと犀星また
髪搔き上げておどろき笑ふに、話はいつか音楽のことにうつれば、マンドリンの名手朔太郎も立ちてショパン
などかく。犀星つくづくと吐息して、もとの互に貧しかりしが、夢のやうぞと云ふ。さてまた戯れにかへりて、
我より収入(みいり)多しとは思はざりしに、白秋、さては本がよく売れるならんと、しみじみとほほゑみ
けり。まことにかく心をひらきて親しき友垣と語り合ふことの、このうれしさは何にかたとへむ。而も衣食
いささか足り、いささか心安きに初めて我が家といふ家に迎へ得てこの喜びをわかつことのいかばかり我にも
妻にもうれしからむ、口には云へず、涙ぐましき友情(なからひ)なり。

昼餐の後、しばらく日中の暑さを消さばやと、隣の室に移りて、バナナなどむく。犀星のいふ、我によき卓掛
あれば贈るべし。いといと珍らしきものなり。古きものなれども、かならず君の喜ぶところとならむ、かく〳〵
との話なり。そは犀星の文にあれば書かず。犀星長椅子にがつしりと寝ころびて、パイナツプルは汁をこそ
吸ふべけれと啜る。犀星流だなと朔太郎神経の尖りにて笑へば、つくつくほうしもあたりの木々に啼き出でて、
日射しやや斜めに、風吹き入りて、花茗荷のかをりなどややややにすずろかなり。まことによき住居かな、
よき生活かな、洋行したやうぞ。白秋、白秋になりぬ。「桐の花」の昔に還りしぞ。そはよき夫人にこそ謝す
べきなれと、朔太郎跳ねつつ竹細工人形のごとくうち喜べば、我もまた、何といふことなくゆたりゆたりと
うれしき。
程経て皆々立ちたり。

紅と黄と青との花模様の絨毯めける、珍らしく古風なる卓掛の我が手元に届きたるは、幾日の後なりしからむ。
軽井沢へ立つと云ひしかの前の日にや。約のごとく犀星は忘れざりけり。忝きは信ふかき友垣かな。朔太郎も
今は倶にやあらむ。秋風の矢車、鈴蘭、薄、刈萱などの咲き乱れたるかの浅間の麓を、朝なさな小さき驢馬の
手綱とりて、軽く揺れゆく異人の娘にも、流石に並々ならぬ詩情も感じ合へるなるべし。

そののちまた、人来りて我に告げしは、かの犀星、白秋の贅には驚きぬ、月にいかばかりか費すらむ。食事も
仏蘭西風ぞ、ゼエリイもつくぞ。さて、パンのみかぢりて米の飯などはとらぬといふぞ、何といふ貴族の生活
ぞ、驚きぬ驚きぬと眼をばそばめつとなり。さて彼はまた声をひそめて、わがかく驚きけりとは、かまへて
白秋にな告げそとも附け加へるとなり。

凡てはほほゑまるることなり、神はかくのごとき親しき親しき友垣の上にこそおはしますらめ。
                                       (十一年十月)

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